「ウォーキング・日記」#112《日本アルプス南端 ・光岳登山》                                                                                                  2010.08.09
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8月4日朝8時に神戸を出発、4人だったので車1台で飯田市遠山郷に向かいました。
宿に到着後すぐに裏にある温泉“かぐらの湯”で汗を流し、夕食をすませて早めに眠りました。
5日宿を出たのは4時、真っ暗でしたが前日登山口の易老渡まで車で下見しておいたので迷うこともなくガタガタの林道赤石線を20キロ程走り、登山口に5時前に着きました。

身支度して易老渡(標高870m)を5時に出発し、遠山川に架かる橋を渡ると、すぐに前を見るのが嫌になるほどの急なジグザグ登りが始まりました。 最初の休憩までの30分が身体も馴染んでなかったからか、一番しんどかったです。
途中、広葉樹林にかこまれた“面平”という広々とした平坦な場所がありましたが、此処を過ぎると再び急な登りが易老岳(標高2,354m)まで続きました。
易老岳山頂に着いたのは10時40分でしたが、山頂は木立の中にあり展望は全くありませんでした。
易老岳から光岳に向かって登り下りして行くと倒木と枯れ木の多い開けた場所や、宮崎駿さんのアニメに出てきそうな“三吉平”というヒンヤリと薄暗い苔むした平地がありましたが、その先は石がゴロゴロした涸れ沢の長い急な登りが続きました。

沢を登りきると前が開け、林の縁から冷たい水が湧いている静高平に出ました。今回の水場は、この一か所だけでした。
此処の水は冷たくて、とても美味しかったです。
今夜泊る光小屋は自炊なので、全員が空いたペットボトルに水を入れました。
少し気になったのは、その水場の周りには根に毒があるという紫色の綺麗な“トリカブト”の花がイッパイ咲いていました。 根から毒が滲み出ることはないのでしょうか?

光小屋は水場から30分の所にありました。小屋に着いたのは13時50分でしたが、私に合わされたからか到着時間は予定表より30分超過していました。
小屋の裏では、沢山の方達がお茶を飲みながら歓談されていました。その時も天気は良かったのですが、ガスで富士山を見ることは出来ませんでした。

私たちは小屋の主人から寝袋を受け取り、トイレの使用方法などの注意を聞いてから寝場所にザックを置き、何も持たずに小屋の裏側から光岳頂上に行きました。光岳山頂は樹林に囲まれガスで展望はありませんでした。
光岳の山名の由来となった光石は見に行きませんでした。
その日の夕食はお湯を注いで作った“カップヌードル”と“山菜おこわ”と熱燗でした。
熱燗は美味しかったし、夕映えの雲が美しかったです。

光小屋は県営で従業員が二人しか居ないので泊り客全員の食事は作ってくれませんが、建物は綺麗だったし無臭のバイオトイレも無料でした。
私は寝袋で寝たのは初めてでしたが、快適でよく眠れました。

6日は日の出に合わせて4時に起き寝とぼけ眼で小屋の横に出ると、雲海の向こうに富士山が見えました。その気品のある姿でハッキリ目が覚め、富士山がこんな綺麗な姿を見せてくれたのは、昨日頑張った御褒美かな…としばらく見とれておりました。

下山後すぐに神戸に帰るので、陽の上がるのを待たずに小屋のオバさんに見送られながら小屋を出発し、水場の静高平で顔を洗い、熱いコーヒーとチーズ、それと3日前に買ったパンを食べたのですが、結構いけるモーニングでした。
食事を済ませて水場を発ったのは5時50分でした。
登りは9時間かかりましたが、下りは易老渡まで6時間20分で帰ることが出来ました。

下りは苦にならない私だったのですが、今回はチョットしたハプニングがありました。
易老渡手前の急坂で足を滑らし立ち上がろうとした時、両足の太ももに全然力が入らず立ち上がれなくなったのです。
それまでも何度か滑って尻もちをついても何ともなかったのに、何で此処で?と言いますのは、そこから先8メートル程は右側は急なガレ場で道幅も30センチぐらいしかありません。 滑りそうになっても足が踏ん張れなければ・・・・・
前を歩かれてるリーダーの姿は既にありませんし、後の仲間二人は何か見つけたのか立ち止って話してる様子でした。
本当に立ち上がれなかったら仕方なく仲間を呼びましたが、左の木の根を持ってどうにか立ち上がれました。立ち上がれば機械人形のようにぎこちなかったですが歩けました。
滑落しそうな危険な場所を「絶対、私は落ちない!滑らない!」と自分に言い聞かせながらユックリ一歩一歩慎重に進み、窮地を脱せた時は、どんなに嬉しかったか…
思わず守って下さった神さま仏さま、亡くなった両親や家族に感謝しました。

その後仲間達と一緒になっても、誰も私の異変に気付く人はおりませんでした。
 
そんな事があっても、登山最後の橋を渡る時にはこんな笑顔が出来る私って、一体何なんでしょう?

家に帰って息子の親友(整形外科医)に尋ねると「一過性の脱力症状は普段あまり使わない筋肉を酷使したので筋肉が酸欠状態のようになったのでは…」と言われました。
登山から帰った日には、さほど痛みを感じなかったのに翌日は太腿の筋肉痛で手摺を持たずには家の階段も上り下り出来ませんでした。
塗り薬を一日何度も塗っていると、今は痛みも薄らぎ手摺なしでも大丈夫になりました。

今日若いリーダーにこの状態も話して剱岳登山の相談をしたのですが、痛みが無くなってから今まで通りのトレーニングをしていれば、大きい太鼓判は押せないが中ぐらいの太鼓判なら押せると言われたので、来月の立山・ 剱岳登山も頑張ってきます。


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