「ウォーキング・日記」# 108《南アルプスから北アルプスへ》                                                                                                  2009.09.06
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去年の8月、大雨のため途中で登山を断念した南アルプスの北岳・間ノ岳に7月31日から行ってきました。今回は、身の程知らずの私の願いを聞いてくれた若いサブリーダーがリーダーに逆らって、その帰りに北アルプスの槍穂縦走に連れて行ってくれる予定だったのですが・・・ 結果は、この日記を最後までお読みください。

同行した仲間は7人でした。今回は登山の起点となる広河原まで、夜叉人峠方面から行きました。4人が31日の夜神戸を発って来るのを、先発隊の私たち3人は朝から神戸を出て夜叉人峠で一泊して待ち、合流して夜叉人峠からバスで広河原に向かう筈でした。
でも 夜半からの雨で夜叉人峠の先で崖崩れが起こり大型バスが通れなくなったので、後発隊は手前の芦安の駐車場に車を置き通行可能な乗合タクシーに乗り換えて、私たちの宿まで来てくれました。
北岳はプライドの高い山なのでしょう、私たちを容易には登らせてくれませんでした。

《北岳・間ノ岳に登る》

8月1日は、広河原から白根御池小屋まで急な樹林帯を歩きましたが、途中までは去年通った見覚えのある道だったし、前夜ほとんど寝ずに車を走らせてきた仲間のため歩行時間が4時間半ほどだったので、楽な一日でした。
私たちが山小屋に着いたのは昼過ぎでしたが、時間が早かったのですぐには部屋には入れてもらえず、しばらく外のテラスで休んでいましたが、ガスがかかっていて北岳や周りの山々をハッキリ見ることは出来ませんでした。その後、雨が激しく降り出したので、遅く山小屋に着かれた方達はびしょ濡れで入ってこられました。
山小屋は新しく綺麗だったし、手伝っている女子大生が可愛く愛想が良かったので、仲間のオジサン連はご機嫌でした。夕飯前の仲間との軽い一杯は、山の楽しみの一つです。

2日朝の小屋出発は5時でしたが、ヘッドランプは要りませんでした。登山道の周りには、素晴らしいお花畑が広がっており疲れを癒してくれました 。さすが高山植物の宝庫といわれるだけの花の多さでした。でも天気が悪かったので甲斐駒ヶ岳や仙丈岳の眺望を楽しむことは無理でした。
小雨降る中、しんどい急斜面の岩場を越えてヤットたどり着いた北岳肩の小屋は、登山客があふれていて座る場所もありませんでした。今回の山行きは一年中で一番良い時期だった為、何処の山小屋も登山客が多かったです。
北岳肩の小屋からも、1時間ほど岩場の急な登りが続きました。岩場は雨で滑りやすく、山頂近くになると少し緩くなりましたが、北岳山頂に着いた時には疲れ果てていました。
天気が良く南アルプスの大パノラマを見ることが出来ていたら、疲れも吹っ飛んでいたのでしょうが…
でも2年がかりで日本の2番目に高い北岳山頂に登れたことには、大感激でした。
それから2時間ほど岩場を下って、その日泊まる北岳山荘に荷物を置き、手荷物だけのサブリュックで向こうに見えるドッシリした間ノ岳に登りました。
 写真の右の仲間の頭の上に写ってるのが北岳山荘ですが、北岳を下りはじめた頃から雨は上がりました。
北岳山荘から間ノ岳頂上までには幾つかの岩峰があり、2時間ほどの登りでしたが、山頂はとても遠く感じられました。
きっと疲れていたからでしょう。
でも北岳山荘への帰りに、雷鳥を見ることが出来たのはラッキーでした。
雷鳥の後を追いかけていたら、写真を撮るのを忘れておりました。これも疲れていたせいでしょう… 
この日の歩行時間は、休憩も入れて11時間半でした。
北岳山荘は泊まり客が多かったので、一つの布団に二人寝ることになっていたのですが、夜になってキャンセル客があったのか一人で寝られるようになりました。
良かったです!山小屋にも慣れてきた私でしたが、仲間と同じ布団に寝るのは・・・
雨の音がうるさかったのですが、疲れていたのでスグに熟睡しました。雨に濡れるのが嫌で寝る前にトイレに行かなかったからか、3時頃トイレに行きたくなり 外に出ると雨は上がっておりヘッドランプ無しでトイレに行けました。明るいな〜と空を見上げると、今にも落ちてきそうな満天の星空でした。しばらく感動して見ていたのですが、星が何時もより大きく近かったです。

3日朝は6時に山小屋を出発したのですが、雲海の向こうに富士山が頭をのぞかせていました。
北岳より標高が584m高い富士山に登るのはしんどいでしょうねぇ。デモ私も日本人なのだから、死ぬまでに一度は富士山に登りたいてす。

その日は、小屋から再び北岳に登り昨日とは違う道で12時過ぎに広河原まで下りましたが、北岳はどちらから登ってもしんどい山でした。広河原から乗合タクシーで夜叉人峠まで戻り、芦安の駐車場で神戸に帰る仲間4人と、私と不老さん、若いリーダーの三人は別れました。
その時リーダーから「僕より若いリーダーの方が経験豊かだから、安心して行っておいで!」と言われ、仲間からは「山は逃げないんだから、絶対無理はしない様に…」「今夜は、温泉でユックリ疲れを癒せよ!」「ダメになったら若いリーダーに頼んでオンブして貰え…」「槍ヶ岳山荘で力持ちの若いのが合流するから、荷物は持ってもらえよ!」と温かい言葉をかけられ、仲間の優しさを、あらためて嬉しく思った私でした。

その夜は、新穂高温泉の以前にも泊まった旅館で三日ぶりに汗を流し、温泉に浸かり、好物の肉料理を食べ、柔らかいお布団でグッスリ眠りました。
 

《槍穂縦走に出発》

4日朝、宿で朝と昼のお弁当を作ってもらい、車で新穂高温泉の駐車場に向かったのは4時過ぎでした。 貰っていた予定表では、今日は駐車場から蒲田川に沿って右俣林道を2時間歩き、白出沢の沢を渡って樹林帯の登山道を1時間半歩いて滝谷に行き、ここから対岸に渡り槍平小屋まで1時間半歩いて、その後は槍の肩にある槍ヶ岳山荘まで5時間歩くことになっており、予定の時間で槍ヶ岳山荘に着ければ、 夕飯前に上高地から登って来る仲間と荷物無しで槍ヶ岳の穂先まで登る事になっていました。標高1,090mの新穂高の駐車場から標高3,180mの槍ヶ岳山頂まで標高差2,090mを、10時間程で登るのです。
昨日の北岳が標高3,193mでも、登山開始の広河原が標高1,520mなので標高差、1,673mだったのです。
北岳・間ノ岳登山の翌日に、これだけハードな登山をして5日、6日は穂高連峰を縦走するというのに、何故か私は何の不安も感じませんでした。
信頼してる若いリーダー、不老さん、若い仲間が一緒だったからでしょうか?
それとも一昨年登った鷲羽岳・水晶岳の時、去年の黒部五郎岳の時に見え隠れしていた、イエそれ以外の時にも遠くに見たような“鋭く尖った槍の穂先に登れる”喜びで何も考えられなくなっていたからでしょうか?
 

林道歩きは単調でしたが、お喋りをしながら歩いていると白出沢まで疲れずに歩けました。白出沢は大きな白い岩がゴロゴロした沢でしたが、流れもきつくありませんでしたし飛び移る石もドッシリしていたので怖くなかったです。
その後の、丸太の橋のかかった滝谷の沢の流れは結構きつかったです。 若いリーダーが心配そうに見て下さいましたが、橋さえかかっていれば、流れが急でも私は怖くありません。幅の広い平均台の上を歩く体操選手になったつもりで渡りました。
白出沢からの登山道もきつくなかったし、滝谷を渡ってすぐにあった滝谷を初登した「藤木九三のレリーフ」から道の傾斜がきつくなりましたが、槍平小屋まで予定通りの時間で歩くことが出来ました。
私は小屋で熱い珈琲を飲みましたが、この小屋も新しく綺麗でした。
小屋の裏手にトイレと冷たい水場もあり、此処が山頂までの最後の水場でした。


ここから樹林もまばらになり西鎌尾根の稜線が見えてきました。北岳ほどではありませんが、高山植物も沢山咲いていました。登山道がガラ場に変わりましたが、傾斜が緩かったので若いリーダーの後を離れずに登れていました。
でも緩かったのは最初だけ、次第に傾斜はきつくなり登るのがつらくなってきました。

そのうち、お腹がだんだん痛くなってきて、はじめ我慢していたのですが我慢出来なくなり二人に言って、恥も外聞もなく“お花摘み(トイレ)”ちょうど標高3,000mの立札の辺りでした。
その後、お腹の痛いのは治まったのですが、だんだん身体の力が抜けていくようでした。足が痛いのでも、頭が痛いのでもないのに「も〜少しだから、頑張らないと…」と思っても身体に力が入りません。
若いリーダーに「僕の靴の踵だけ見ながら、ついて来て」と言われ、不老さんには「歩幅をモット小さく!」と言われ、二人の言われたとおりにしていても身体は生き返ってくれませんでした。
普段は口だけで生きている私なのに、 その時口から出るのは「休んで良い!」「お水飲んで良い!」の言葉だけでした。
ハッキリ覚えていないのですが、途中でお二人にリュックの荷物を減らしてもらったような気がします。瞼をパチパチしないと、若いリーダーの踵もボンヤリかすんできました。多分あの時は、お二人に見守られながら、死にかけの酔っ払いの様に、フラフラ、ヨチヨチ歩いていたのでしょう。


そんな私だったので槍の肩にある槍ヶ岳山荘に着いた時は沢山の登山客が居られたのですが、涙が止まりませんでした。若いリーダの背中にもたれて泣き、不老さんに抱きついて泣き、二人に嫌がられても一人オイオイと泣いていました。
何であんなに泣いたのでしょう?自分でも不思議です。
槍ヶ岳も、オバさんの涙なんか見たくなかったのでしょう、ガスで顔を隠していました。
上高地から登って来られた若者は、私たちが遅いので先に槍の穂先に登られていました。
涙が止まると、今度は悪寒がしてきました。
部屋にはスグに入れてもらえました。私たちは二段ベットの上だったので、上に上がりカーテンを閉めて汗でぬれていた服を着替えましたが、寒気は治まりません。若いリーダーや仲間が心配して見に来て下さいましたが、私はセーターを着て、ダウンを着てタオルを首に巻いて布団にもぐり込んで暫くウトウトしていました。
その時布団の中で思ったのは「これから山小屋の中が便所の臭いで臭いとか、布団が湿気て臭いとか絶対に言わない」それだけでした。
どうして自分の体調を心配しなかったのでしょう? 私ってヤッパリ変な人間かな〜?
しばらくすると寒気も治まり、心配して見に来て下さった不老さんと一緒に仲間の所に行くと「良かった!顔色がもどった」と言われました。寒がっていた時は血の気が無かったそうです。その後、食堂に行き“うどん”を食べましたが、とても美味しかったです。

こんな事になったので、私は不老さんに付き添ってもらい、明日からの縦走はせず元気だったら槍の穂先に登ってからユックリ槍平小屋まで下りて泊まり、6日の昼過ぎに縦走を終えて下りてくる若いリーダーと新穂高の車の所で合流することになりました。
上高地から来られた若者は、帰りの上高地からのバスの切符も買ってあるからと、帰りも別行動になりました。

5日朝は、快晴で早くから御来光を拝まれたのか穂先から下りてくる登山客の列が続いていました。
槍の方から穂先までは百メートルほどの険しい鎖やハシゴのついた岩場の登りで三点支持の原則を守って岩を確実につかみながら登ります。一部を除いて登りと下りが別ルートになっていました。

私は顔は腫れていましたが昨日の事が嘘の様に元気になっていて、朝御飯も残さず食べられました。御飯のお代りがしたかったぐらいです。
6時過ぎに仲間が縦走に出発するのを見送ってから、登山客が減った穂先に登りました。不老さんは、二回目だったそうです。
岩場の登りは、緊張しましたが怖くはありませんでした。
自分の体に合った岩を探し、右手左手と右足左足の四点の三点を確実につかまえておれば危険なことはありませんでしたし、垂直に近い所には鎖やハシゴがかけてありました。
下りる時が怖いかな〜と思いましたが、大丈夫でした。最後のハシゴを登る時、イケメンのお兄さんが不老さんに「何処から来られました?NHKの者ですが、上で中継をしますのでインタビューさせて頂きます」と言われました。

頂上に登ると大きなカメラを持ったカメラマンやディレクターが居られ、沢山の機材やケーブルが置かれていて、先に登られていた登山客も何人か座っておられました。
先程のお兄さんがハシゴを登り終えたところから中継は始まり、言われた通り不老さんがインタビューを受けられました。朝の「おはよう日本」の放送の中での中継でした。
神戸に帰っておられたリーダーにも御覧いただけたので、私たちが無事に槍ヶ岳に登ったことは、速報で知ってもらえました。
帰ってからの反省会では、槍ヶ岳に登ったことは褒められましたが、縦走しなかった事には一切ふれられませんでした。若いリーダーからの詳しい報告があったからでしょう。


昨日泣いていたのに翌朝にはこの笑顔。「必ず登ってあげるから待っててネ!」と言い続けていた槍ヶ岳に登れたのです。これからも山登りは続けます。
デジカメを首からぶら提げて登ったのに、頂上では一枚も写真を写しておりませんでした。カメラを出すのも忘れるぐらい穂高連峰、南アルプスの峰々や富士山の眺望は絶景でした。
口だけの情けない私を支えながら登って下さった、若いリーダーや不老さんがいて下さらなかったら、私の願いはこんなに早く実現しなかったでしょう。

これからモット練習を重ねて、この穂高連峰縦走に耐えられる体力をつけ彼らに連れて行って貰います。
今回は、私の無謀な願いを聞いて下さった若いリーダーと不老さんのお二人に、有難うを何回言っても足らない山行きでした。有難う、有難う、有難う、有難う、有難う、有難う・・・
本当に、ありがとうございました。
 

※参考 《日本の高い山ベスト5》
@富士山3,776m A北岳3,192m B奥穂高岳3,190m C間ノ岳3,189m D槍ヶ岳3.180m

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