《 第11回 ある夏休み中の出来事 》                                                                                               2009.05.27
                                                  

“武陽通信第78号同窓だより”に私は「昔三宮から吉田町丁目のわが家まで歩いて帰った」と書いたことがあります。そのいきさつを書くことにしました。
昭和14年(か15年)、二中を卒業して旧制高校へ入学した友人が何名か(10人ぐらいだった
?)でコンパをしようと、JR三宮駅西のはずれの高架下のビアホールへ入った。私も勧められてその仲間に入った。当時は日支事変の戦時下であった。松山あたりでは高校生がおでん屋とかビリヤードへはよく出入りしていたので、別に何の気もなく入っていた。私はアルコール類には特に弱く、忽ち真っ赤になった。

そのうちに、ビアホールの表の入口のガラス越しに何人かの人が入れ替り、立ち替り、外から内部をのぞき見しているのに気付いたが、別に気にもしないでいた。

かなり時間も経過して、「出ようか」の声でゾロゾロ店を出た途端に「みんな、そこに並べ」と云う声がして、全員が並んだところ「全員ついてこい」との声で、着いたところは大丸と十合の中間点の市電停留場の南の三宮警察署の本部であった(今は全然変って昔の面影はなくなっている)。

ビアホールの外にいた何人かの人は全員私服の警官で、土曜日夜の特別警戒中であった。吾々全員、ひと通り色々と調べを受け、型どおりの記録をとられた後、帰ることができた。吾々のいた部屋の隣でも、うす暗いカフェにいた男女のペアがかなり厳しい取り調べを受けていたようである。

私は放免されて、友人とそれぞれ別れて家路へついたが、市電の線路に沿って(終電車はとっくになかった)トボトボ吉田町まで歩いて帰った。

帰宅後、両親も就寝していたのでそのまま何も云わずにいた。松山へ帰ってから、学校へ三宮警察からの連絡もなかったようであることも分りホッとした。高校生と云うことで警察も大目に見てくれたのだろうと思う。神戸へ行く時には、あの三宮警察の本部もなくなっているので、却って淋しい想いで旧友を懐かしく思い出す。 

 平成21418

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