《 第4回 寮生活中の寸話-1》                                                                                               2009.03.17
                                                  

在寮中に色々と体験した事のうち、印象に残っていることの短編
1.

寮雨
寮生のうちで1年生は階下、2、3年が2階というのが通例となっている。2階の窓を開けて小便するのを寮雨といって、階下の室の者は不在であればよいが、うっかりして手摺りにもたれていたり、手摺りに何かをかけていると被害を受ける。晴れ、曇りに関係なく寮雨と言っている。勿論1階からでも寮雨と言っていた。

2.

ホタル小話
1年生で、はじめて迎える梅雨期の出来事で忘れられない。
大街道(おおかいどう)と言って、松山市の繁華街から寮に帰るのに徒歩で20分ぐらいかかる。寮の横には、田圃の潅水用の溝が流れていて、溝の中には草が繁り、初夏には蛍が沢山発生し、溝には時ならぬ青白い蛍光が点滅していた。それを見た途端に、昆虫採集を趣味としていたので、夢中になって光のひとかたまりを掴んで勇躍し、自室の明るいところで手を拡げてみるとびっくり仰天した。蛍の幼虫で、まるで小さい毛虫のようであった。
びっくりして、全部そのままもとの所へ持って行った。蛍はすでに幼虫の時から青白い光を出していることが初めて分かった。

3.

オヤジ
入寮して半月ほど経って初めて気付いたことがあった。それは毎日夜9時半を過ぎた頃に、腰に手振りの鈴(りん)を付けて、寮の廊下をウロウロする老人がいた。
するとその時刻になると、あちらこちらの寮から「オヤジ、オヤジ」と連呼する声がする。
「ヘーイ、ヘーイ」とそれに答えて、その老人が各寮を一々渡り歩いてウドンの註文を聞いて廻り、適当な数量に達すると、寮の外の小川の縁にとめてある小さい屋台車の所へ戻り、註文された数のウドンをつくるとそれを註文者の部屋へ届ける。階段を昇り降りし、ウドンを運ぶのはかなりの重労働であるのに、殆ど毎日決まった時間になると来ていた。
この老人は無学文盲だと聞いていたが、各註文者がどの寮の何室の住人で註文数がいくらということを確実に覚えていて、各学期の終わりにその代金をキチット請求してくるので有名な老人であった。私は今もその老人の面影と声を覚えている。文字を知らなくても、寮生を相手に損をせず、毎年毎年この商売を続けているのには脱帽である。

4.

怪談
入寮して1学期の終わりごろ、梅雨の雨がシトシトと降っていた夕暮れに、クラスメートの一人(藤田長門君と言って、大阪の府立住吉中卒であった)が来室し、彼が聞いた話を教えてやろうと私の部屋に来た。
先ず第一は、私の部屋(北寮3番)の端から2部屋おいて釘付けの部屋があったが、その部屋は創立当初、部屋付きの看護婦の室で、彼女が自殺した後は釘付けのままの不思議な部屋だと教えてくれた。
藤田君は眼鏡(フチの太い)をかけ、ドングリ眼玉で、低音のドスの利いた声であったが、私の反応を見て、これは真正直な奴だと分かったらしくて、次の話に移った。低い低い声で始めたのは石手川(寮の南300メートル余りの所を東西に流れる川)の堤の怪談であった。
昔、真っ暗い堤は大きい樹が林立し、晝でもうす暗かったそうであるが、夜も更けて盲目の按摩さんが仕事を終えて家路を急いでいた時、一人の悪漢が現れ、無惨にもその按摩さんを殺し、その日の稼ぎを盗んだ。
それからかなりの日数が経過して、その悪漢が又待ち伏せしていると、夜もかなり更けた頃に誰かがやって来る気配がした。近くまで来たその人を見てびっくり仰天したのは、大分以前殺したあの按摩であった。ちょっと怖気(おじけ)づいたがその按摩に話しかけ、以前盲目の按摩さんがここで殺されて金を強奪されたことがあったんだと言うと、「そんな殺生なことをするのは一体だれだろう・・・・・」と按摩さんがつぶやいた。
・・・・・この話を私がまじめに聞いているなと藤田君は感じとったのであろう、又事実、夕暗でくらくなっていたし、私が真剣にきいていると彼は感じたのであろうが、彼は私の顔を見据(す)えて、いきなり私を指して、ドスの利いた顔で「お前だ」と言われたものだから、見事に私はひっかかって「アッ」と大きい声を出した。
間髪を入れず、彼がニヤッとしたものだから、私はやられたと口惜しかった。又恥ずかしかったと言う、忘れることの出来ない経験談です。
 

                              平成21年2月19日 

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