《 第1回 新入寮生歓迎会のこと(嶋君の倒立)》                                                                                               2009.02.16
                                                  

昭和14(1939)4月、二中を卒業して松山高等学校理科甲類(第外国語英語、第外国語独逸語)に入校。二中で同窓の梅田睦男君(神戸で開業医)が理科乙類(第外国語独逸語、第外国語英語)に入校。人が寮は同室となる。

梅田君のことでは話題が一杯あるが、これは次回へ。

入寮生の歓迎会のことで忘れることのできないエピソード。寮の食堂(寮は南寮、中寮、北寮、新寮、全部名ずつ入ると200余名は居る)で紅白の幕を張り、新入寮生の歓迎会がある。上級生年、年が各寮にいる。

夕食時から歓迎会があり、その日はいつものテーブルの配置ではなく、演壇が作られる。食事をしながら歓談し、40分ほどしてから新入生が人ずつ演壇に上がって、かんたんなスピーチをして、何かかくし芸の披露をする。小生は「神戸みなと祭り」の唄を披露。

新入寮生で嶋良宗君(奈良県立郡山中学卒、理乙、後に和歌山県立医大整形外科教授)は自己紹介後、「自分は何も芸がないので、倒立をやります」と云って、演題に並べた石油缶の上で見事な倒立をした。

嶋君は小柄で軽量であったが、倒立中に手にかける重量のため、石油缶の1つに重量がかかりすぎたのであろうか、ボコボコ・・・と石油缶の1つがこわれ、そのため嶋君はそのまま前のテーブル上に転がり落ちてしまった。前のテーブルで食事をしていた人はさんざんな目に遭遇した。だれも怪我はしなかった。

嶋君は入寮後、小生と同じくグライダー部に入って、日曜日ごとに練習をいっしょにしていたが、皆が一瞬ハッとするようなことがあった。くわしくは次の投稿で。

昔の旧制高校は浪人生も多く、2年浪人したような人は、かくし芸でも浪人生活中に覚えた「酒は涙か溜息か」とかそれぞれ18番の演歌を唄い、吾々のような現役生とは、ちょっと違うんだと云うような威厳を示していた。然し学校が始まると化けの皮がはがれてしまった。

当時外国語は英語とドイツ語を習っていて、理甲、理乙で第1外国語と第2外国語は時間数が逆であった。アメリカとの戦争が始まった12日のほんの少し前頃、英語の先生(米国人)が忽然として辞めたがそのすこし後から戦争が始まった。小生は年の12月でびっくりしたが、やがて開戦となった。

今回はこのあたりで終りましょう。

平成21130

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