恩 師 か ら の 便 り

菅沼先生からのお便り

偶感はこちら

松山高等学校の頃

それ以降の思い出

 2009.02.16・第一回 新入寮生歓迎会のこと  2009.04.06・第  6回 私のタバコ遍歴
 2009.02.26・第二回 神戸と松山往来のこと(船と国鉄)  2009.04.16・第  7回 支那事変の頃の思い出
 2009.03.07・第三回 寮生活のこと(ストームの洗礼)  2009.04.26・第  8回 支那事変の頃の思い出
 2009.03.17・第四回 寮生活中の寸話  2009.05.06・第  9回 終戦後の5年間
 2009.03.27・第五回 寮生活中の寸話-2  2009.05.17・第10回 小学生時代の思いであれこれ
 2009.04.06写真 松山時代の思い出の写真  2009.05.17 菅沼先生の思い出追跡
     2009.05.27・第11回 ある夏休み中の出来事
     2009.06.03・第12回 屈辱の日の悲しさ
     2009.06.13 第13回、第14回掲載の前に
     2009.06.13・第13回 懐旧談(兵庫高校退職のわけ)
     2009.06.23・第14回 金光大阪高校とのかかわりについて
     2009.07.03・第15回 少年時代の夢
     2009.07.12・第16回 小学校時代の思い出(3題)
     2009.07.24・第17回 私と高槻のかかわり(何故私が高槻に)
     2009.08.07・第18回 軍隊時代の回顧
     2009.08.21・第19回 神戸二中時代の回顧
     2009.08.29・第20回 兵高時代の大失敗
       

偶感の掲載に際して(2008.6.9)
 菅沼先生には前回の舞子海岸の続編をお願いしていましたが、いろいろの問題から書くのが難しいということで、掲載を取りやめさせていただくことにしました。ご了承願います。

 菅沼先生が高槻高校の校長として思いをつづられたエッセー(偶感)の数々を、改めて10回シリーズで掲載していただくことになりました。

 第1回は「兵庫高校創立100周年のこと」。文中の「同期の4名」の一人に南里(なんり)さんと言う方がおられ、その方のお話を伺ったので紹介をしておきます。

 南里さんの二中時代は水泳部の選手で、水泳部の代表人として明石海峡を遠泳の泳ぎで渡られた。菅沼先生は全くご存知でなかったが、翌日の授業で数学の先生が、「南里、何里泳いできたか」と駄洒落で問われ、南里さんは即座に5里ですと答えられた(菅沼先生はこのとき初めてこの無謀な出来事を知りました)。5里と言えば20キロ。明石大橋がせいぜい5キロなので、潮に流されてしまった果てなのか、とっさに出たのが5里だったのか、今では分からないらしい。

 当時明石海峡には鱶がいて、南里さんは長く伸びた褌を着けて泳がれた。鱶は自分より大きい(長い)ものには襲わないとか。初めて知りました。(水島記)

[過去掲載のお便り]

 恩師の菅沼先生から49陽会の私たちにお便りが届きました。
お便りを受け取りに行ってくださった水島氏(10組)のお話では、先生はとてもお元気で85歳になられた今年も高槻高校で現役校長を勤められるそうです。
                            お便りはこちら(2007/3/15)

現在も高槻高校の校長をなさっておられる菅沼先生(4組担任)にご無理をお願いしまして、先生の自分史の中から時々原稿を頂くようになりました。
第一回『私の忘れ得ぬ先生』は、先生が 神戸二中を受験された時の思い出です。
                                                                           (2006/6/22)

 
戻る