第33話    『戦後の兵庫高校』

幾多の苦難を乗り越えた二中は戦後、昭和23年10月31日付において、永松忠雄校長のもと、兵庫県立兵庫高校として誕生したのである。校章の原図は当時高校3年生であった林五和夫氏(36陽会)の作成したものであり、昭和23年9月より使われた。林氏に依れば『若いユーカリ健児が(若葉)、質素剛健。自重自治の要綱を教訓として、努力向上し、結実大成する。』と、言うことである。
 
その努力向上が運動部、文化部の活躍として現れた。
すなわち、昭和22年1月白崎、角南(35陽会)等のメンバーが中心となって全国大会準優勝を、同年8月器械体操部の県下大会優勝
同年7月野球部の県下準優勝、送球部の県下大会準優勝、籠球部の国民体育大会出場、昭和24年1月サッカー部全国大会出場2回戦進出
同年4月野球部選抜大会に連続出場
 
昭和25年8月、ソフトボール部が好投手民輪(三間)美代子選手(40陽会)を擁して全国大会において優勝した。
昭和26年8月には、女子バレー部が全国大会に出場。以後昭和33年まで毎年連続出場した。指導者は山内俊一郎教諭であった。

昭和29年にはラグビー部が兵庫高校となって初めて全国大会に出場し、以後3年連続全国大会出場を果たした。この時代の部長は松元豊一教諭で、コーチは小川重吉(6陽会)白崎都香佐(8陽会)堀川栄喜、加島保雄(22陽会)の超OBの各氏と若手OB20数名であった。練習でOBの数の方が多いときもあったと聞いたことがあります。

ユーカリのもと、兵庫健児の素晴らしく、輝いた時代でもあります。