第31話    『戦争の終わり』

戦争の終わりを告げる大きな2つの出来事が起こった。1つは『沖縄返還』であり、もう1つは『日中国交回復』であります。

『沖縄の祖国復帰なしには、日本の戦争は終わらない。』と、言ったのは、首相として戦後初めて沖縄を訪れた佐藤栄作の言葉である。その沖縄は1971年(昭和46年)に、返還された。

戦後日本の固有領土でありながら他国の支配をうけているところが3ヶ所有った。第一は北方領土の4島、第二は小笠原諸島、第3は奄美から沖縄にかけての島々である。奄美諸島は1953年(昭和28年)に、小笠原諸島は1968年(昭和43年)いずれもアメリカから返還されている。
こうして、北方領土と沖縄とが、ソ連とアメリカとに支配されるという状態が残ることになった。しかも、沖縄にはアメリカが極東戦略の中で、もっとも重視した軍事基地があったのである。

沖縄の人々は旧幕時代にも、明治になってからも『ヤマトンチュウー』(本土)から抑圧され、差別された歴史を持っている。その民衆の望みが1971年に叶えられたのである。(唯、ご存じのようにアメリカの基地問題は未だに大きな民衆の悩みの種であります。)

もう1つは1972年(昭和47年)における、中国との国交回復ではないでしょうか。
もともと日本の対中政策は、日米協調を旗印にしながら、アメリカに追従するものであり、アメリカの意向に反して独自の対応をしようとする気配を見せなかった。

そのアメリカは、『中国封じ込め』政策を基本にして、国連加盟を阻むと共に、台湾政府との国交を深めていった。従って、中国との国交回復が日本国内の懸案になっても具体化への動きはほとんど無かった。しかも、中国自体も、佐藤内閣に不信感を持っていた。

ところが、1970年代に入ってから、国交回復が急速に進められることとなった。
1971年(昭和46年)7月アメリカ大統領ニクソンは突然に『中国を訪問し、米中関係の修復をはかる』という計画を発表した。そして、翌年2月訪中して、毛沢東、周恩来、各氏と会談し、『平和5原則』を締結した。

1972年(昭和47年)7月に内閣を組織した田中角栄首相は、このタイミングを外さず、又、日中両国の努力により、1972年9月29日北京を訪れた田中角栄首相と周恩来首相との間で、共同声明の調印式が行われた。

この2つのことで、おおむね戦争の終わりとして良いのではないでしょうか。