第11話  学童疎開

1944年(昭和19年)6月、アメリカ軍のサイパン上陸によって、本格的な本土空襲の可能性が高まる中で、国民学校初等科児童の疎開を促進する『学童疎開促進要綱』が、閣議決定した。
(前年9月より、東京など重要都市において、生産や防空活動に直接関係の薄いひとは、疎開を実施することが決められた。)

そして、この日の要綱決定により、京浜、阪神、北九州、名古屋、地域の国民学校初等科3年〜6年のうち、縁故疎開の出来ない児童が強制的に集団疎開されることとなった。
対象となった児童約40万人は、それぞれ教師に引率されて、親元から全国約7000カ所の疎開先へと移住させられた。宿舎には、旅館、集会所、寺院、錬成所などがあてられ、児童達は厳しい規律の中で、乏しい食事に耐える生活を送ることとなった。

学童疎開は、子供達の安全を守ることと、防空活動の足手まといとなる子供達を都市から退避させることを目的としたようです。

当時、10歳〜14歳の子供達が親元から離れて、食べるものも十分でない状況で、集団生活をすることがどんなに大変だったことか。
集団疎開をした先輩に聞くと、なにせ、お腹が空いて、道端の草をよく食べたもんだ、とのこと。先生方も大変だったろうと存知候。