第8話  配給と奉仕

日中戦争以来の日常生活物資不足は、太平戦争開始後尚いっそう加速した。東京では、米と小麦粉、酒類がすでに1941年(昭和16年)から切符制になっていたが1942年にはいると味噌、醤油、塩、衣料品、石鹸などが配給制に切り替えられた。

だが、その配給量も次第に不足し始めると人々は「闇」(公定価格ではなく相場による取引)で、それを補わなければならず、国民の順法精神に与えた傷は小さくなかった。すなわち、長い戦争が続いたことによりすでに、日本、及び日本国民は、音を上げようとしていたと思われます。
 
それだけでなしに、戦場で膨大な消費をする一方、働き手が兵役で減るばかりでは食料だけでなしにあらゆる物が不足するのは当然といえる。ただ、足りない人手は、「徴用」と、女性の起用でやり繰りした。「勤労奉仕」と言う半ば強いられたボランテイア労働も戦いが終わるまで続けられた。