第6話 翼賛選挙

1942年(昭和17年)4月30日、前回から5年ぶり、太平洋戦争に入ってからは、初の衆議員選挙が行われた。この時政府は自ら結成の音頭をとった<翼賛政治体制協議会>推薦の候補者たちを全面的に応援し、結局、八割以上の議席を推薦候補で占めて、東条独裁への翼賛体制を確立したが、推薦候補の選挙費用に国費を流用する一方で、非推薦候補に圧力を加えるなど、選挙の公平さの面では多くの悪例を残した。

ただ、自由主義の立場から翼賛選挙に反対した、鳩山一郎、斉藤隆夫、尾崎行雄らも立候補した。投票率は83.1%に達し、斉藤隆夫は、兵庫1区から、鳩山一郎は、東京2区から、尾崎行雄は、三重2区から立候補し、当選した。

内訳は、翼賛会381名、非翼賛会85名で、圧勝したものの、戦勝気分の中でも政府批判が強いことを、この数字が物語っている。太平洋戦争突入。戦争反対