#67《神戸三宮の残念様(神戸事件:その15)》              
                                      
                                                             2011.02.19
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備前藩への処罰(2)

* * 備前藩の憤慨 * *

備前藩は予期していたとは言え、余りにも厳しい処罰に憤慨した。相手側に非があるのに咎められず、こちらに非は無いのに死罪である。

悪くても賠償金を支払う程度と考えていたら、発砲命令者に死刑宣告である。その上事実を歪曲して罪科人に仕立てられている。備前藩としては「この達書」をおいそれと簡単に受けいれられるものではない。当然、備前藩京都藩邸内は紛糾した。 

というのは、過去に同様の事件(生麦事件)が生じたときに、旧幕府は自国法により処理したことを思い出したのである。

生麦事件(文久2年:1862年):

武蔵野国生麦村付近で薩摩藩島津久光の大名行列を英国人が行列を馬に乗って横切ろうとしたのをみて藩士がその英国人を無礼打ちにした事件。この事件に激怒した英国は幕府を通じてその藩士の処刑を求めるが、藩主島津久光は国内法に基づいての処置であるとして断固拒否。
後に薩英戦争にまで発展するが、それでも久光は無礼打ちした藩士に責任を取らせなかった。

結局、 幕府老中小笠原長行は自国の法(武家諸法度)にのっとり、英国人を殺害した者を咎めず、交渉の末、賠償金を支払う事で解決した。つまり、国内法にそって行動した者を外国の要求だからといって処刑させる理由もなく、人の命よりも賠償金で片をつける「賞金の御恥辱の方遥に軽」の基本姿勢で交渉した。

(なお、薩英戦争では薩摩藩は英国の大砲の威力を見せ付けられたが、薩摩藩もよく善戦し、英国側の方が、艦長が死亡するなどで人的被害が多かった。 この後、お互いにその実力を認め合い、急速に親密になっていった)

 ―:この事件の発端は仏兵の理不尽な軍行列の横切り行為であり、非は当然仏兵にある。また生麦事件の時のように相手を殺傷していない。旧幕府の基本姿勢ならこれを制止した備前藩は処罰されることはなかった。ところが、政権が一新した途端、外国の要求を全面的に受け入れて備前藩士に切腹させるのは、どうしても納得ができない。
我々は何のために新政府側に協力してきたのか、新政府は一体どちらの味方なのか。

―:国是が開国和親となり、外国との渉外事件は万国法で処理するといっているが、事件が生じたのは1月11日である。確かに宣言書の日付は10日となっているが、岡山藩にはなんら国是変更の通知はなかったではないか。

それまで尊皇攘夷を国是として朝廷側に協力し、全国の武士は武家諸法度を規範として行動してきたではないか。

等々の憤懣が沸き起こっていた。
 

* * *
 

しかし、勅命である。備前藩は昔より儒教が盛んであり尊王思想の篤い藩であった。
家老日置帯刀は激昂する家臣をなだめ、断腸の思いで決断し、処罰を受け入れる上申書を提出した。
 

「神戸事件発砲命令者処罰御請の件」

前月11日、神戸通行の折、外国人へ兵刃を加え発砲におよんだことについて公法をもってご処置されたことはお達しのとおりです。今このような多難の時期に些細な事件から朝廷が危うくなるような大きな害をもたらすことにもなりかねないことになったので、朝議にはかられて決定、天皇が決裁し、発砲命令を下した罪科人を早々に差し出すように仰せ付けられたことは、日本国の大事と受け止め、天皇の心を安んじるため、ご沙汰のおもむきかしこみ、謹んでお請けいたします。(要約)(大日本外交文書第一巻第一冊) 

この日置から請書が提出されるのと前後して、新政府参与の岩倉具視は藩主宛に「論解書」を出した。

   「論解書」慶応4年2月3日

この度の神戸の一件については、藩をあげて一同で苦労されたことをお察しする。しかし朝廷においても同じように、このことについて3日間も徹夜して評議を行ったが、結論には至らなかった。こうなっては天皇の決裁を仰ぐ他はないと言うことになり、天皇におはかりしたところ、天皇も大変に悩まれた末、このような処置をとることを決断なされたのである。
(中略)

国論が一変したことによって、この度当人が、彼らのために死ぬることになると思うと、誠に残念に思うところである。しかし、新しい政府にご一新の折柄、この件を放置しておいたならば、どのような災いが起こるかわからない。やむをえず公法に基づいて処罰することになった。諸事情があることとは思うが、天皇の朝廷のため、日本の国のため、備前一国のため、日置一家のため、この四つのために死を甘んじて受けてくれるよう、よくよくの説得をお願いしたい。(要約) 

岩倉具視らしい口説き上手の文章である。悪く言えば身勝手で二枚舌である。岩倉は非が備前藩にない事をよく知っているので、備前藩に対しては文字通りの殺し文句で迫って何とか協力して欲しいと懇願しているが、この事件の事情を知らない他藩に対しては備前藩の罪状を勝手に作り上げて国内法ではなく万国公法で処分すると、政府の一員として冷酷に通知している。

ここに岩倉を含めた新政府上層部達の国内に対しては有無を言わせない意向が表れている。 

新政府は備前藩から提出された届書に基づいて、早速諸外国に対して次のような通告書を出した。

  「神戸事件ノ発砲命令者処罰通知ノ件」(慶応4年2月3日)

備前藩の家来で各国公使館へ発砲号令した士官は、現在備前の国許におりますが、早々に罪科を言い渡し兵庫表へ差し出すよう申しつけましたので、ご承知おきください。
 仏、英、伊、亜、孛、蘭公使姓名閣下(要約)
(大日本外交文書第一巻第一冊)
 

* * *

しかし、2月を過ぎてからも新政府から発砲命令者の処置をどうするのか何の通知もない。英国公使パークスの不満は募るばかりである。
長引けば、新政府は岡山藩一藩も押さえる力がないことを示すようなものである。状況によっては、諸外国は旧幕府方につく恐れがあった。当初「六日で片をつける」と大見得でいった伊藤俊介もあせった。
伊藤は外国事務掛の伊達宗城を介して備前藩に督促した。
 

* * *

備前藩としては発砲責任者として誰を差し出すかの人選が残ったが、なかなか決められなかった。
発砲責任者となると、誰も発砲命令は出していないからである。しかし、命令は出ていないが周りの状況から、銃卒が「鉄砲! 鉄砲!」といって勝手に撃ち始めた。これを発砲命令だとすると、この銃卒は3番隊長瀧善三郎の隊であり、また槍でつついたのも善三郎である。
こうして、この事件の解決のために命を差し出す者、いわゆる人柱になってもらう者が絞りこまれ、藩命で三番隊長瀧善三郎に決まった。
 

(その15:終)

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