#66《神戸三宮の残念様(神戸事件:その14)》              
                                      
                                                             2011.02.14
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備前藩への処罰(1)

列国(6ヶ国)からの要求を全面的に受け入れることにした新政府は、今度はいかにしてそれを実行に移すかという対内部問題に取り掛かかることになった。対内部問題とは備前藩に対する処罰である。
列国は、新政府が要求を全面的に受け入れるという約束を信じて、神戸を占領して軍隊を引き上げさせた。そして回答の期限を22日に定めて新政府の統治能力を見極めることにした。
 

* * 万国公法による処罰 * *

新政府内は備前藩を如何に説得させるかで随分紛糾した。
大久保利通は日記の中で「ご処置は日置帯刀割腹の事」と書き留めている。大久保は事態の深刻さから、この隊列の最高責任者に責任を取らせることにして事態を収拾する他はないと考えていたようである。伊藤も同様の考えであった。
しかし、日置帯刀は家老とはいえ岡山藩池田家の一族である。藩主池田茂政は水戸藩主徳川斉昭(烈公)の九男で旧将軍慶喜(七男)とは兄弟関係にあり、さらに鳥取藩主、島原藩主とも兄弟関係にある。もし、ここで対応を誤り、彼ら(徳川一門)に結束されて離反されたら大変なことになる。
旧幕府との戦争がまだ始まったばかりで、基盤が非常に弱い新政府にとって、この雄藩の家老に切腹を命じるほどの力はとてもなかったのである。
結局、西郷隆盛らの考えに従って、足軽大将クラスの士官に責任を負わせることで大筋は決まった。
 

* * *

この事件の顛末については、朝廷も日置帯刀からの事件の届書が出ており、よく把握していた。事件の発端は、侍行列に対する仏兵の無礼な供割りであり、国内法(武家諸法度)に照らし合わせてみれば、当然この事件の非は外国側にある。
また、事件は治外法権が適用される居留地内ではなく、我国の公道でおきたので、当然国内法が適用される場所であり、さらに双方に死者は出ていないので、備前藩を処罰する理由は全く見当たらない。

しかし、列国には既に発砲号令者を処刑すると約束しているので、どうしても約束どおり実行せねばならない。
一方、雄藩の藩士、しかも士道にそって正しく行動したものを処刑するとなると、それなりの大義名分(つまり罪状の正当な理由付け)を用意しておく必要がある。
そうしないと本人はもとより備前藩を納得することができず、また世間、諸藩からの理解が得られず反発される恐れがある。一歩間違うと新政府の弱腰外交が指摘され、攘夷運動まで発展する可能性もあった。
 

* * *

そこで新政府は、旧来の国内法ではなく、窮余の策として万国公法、即ち今日の国際法を持ち出して本件を処理することにしたのである。
万国公法といっても、それがどのようなものかは当時の公卿、議定、参与など朝廷の当局者は理解しているものはいなかった。 
もちろん、その公法のどの条項を適用して処分するのか等の法体系については誰も知るよしもなく、ただ国内法に優先する超法規的な法源が欲しかっただけである。
 

* * *

国内での渉外事件を国内法より国際法を優先して適用すること自体が問題であるが、国内法では備前藩に全く罪科がない以上、朝廷としては何がなんでも備前藩を納得させる必要があり、万国公法、いやそれよりも大きな宇内の公法(宇宙全体を支配する絶対的な公法)を持ち出したのである。これは漠然としたもので、細かな条文などはなく、今で言う“超法規な裁定”というものである。
すなわち、この公法に基づいて、何が何でも備前藩が罪状になるようにデッチあげて処罰しようとしたのである。

ここで、宣言書(#65)の日付が絡んでおり、次のようなデッチあげのストリーを作った。
「新しい政府は1月10日の宣言書に示すように、外国とは鎖国攘夷から開国和親へと国是を変更したことを宣言した。そして宣言書の但し書きで外国との渉外事件の処理は、従来の国内法(武家諸法度)をやめて全て万国公法(宇内の公法)を適用して行うことになった。
しかるに、開国和親へ国是変更していたのにもかかわらず、1月11日、備前藩兵は外国人に一方的に兵刃を加えた上、公使館に向けて発砲した。これは諸外国との関係を損なうものであり、担当者は万国公法により処罰を受けることになるだろう」

つまり、宣言書の朝議は13日に行われ15日に諸外国に公示されたが、これは伏せておいて、宣言書の発行日付けを事件発生の1日前の10日(都合の良いように辻褄を合わせして)にして、備前藩の罪状を適当にデッチあげ、それを超法規的な万国公法(宇内の公法)によって、備前藩を何が何でも処罰しようとしたのである。

これは、誰が見てもわかるように、明らかなデッチあげ行為で、今日で言えば警察や検察のデッチあげ行為とか冤罪事件として大問題となるケースであり、これを国家主導で公式文書を捏造してまでデッチあげ行為を行ったのである。
そして、この万国公法という超法規的な手段で裁くのであれば罪科は何でもよく、最早この事件の真実を調査して再交渉すること等はどうでもよい事になった。
 

 * * 切腹の朝命 * *
 

ついに、朝廷は備前藩の立場や備前藩による嘆願書などを全く無視して、罪状を都合の良いようにデッチ上げて、責任者の切腹という処置を有無を言わさずに通告した。 

 「神戸事件発砲命令者に割腹仰付ノ件」慶応4年2月4日
神戸通行の際、行列の邪魔になるという理由で、外国人に兵刃を加え、あまつさえ逃げようとするアメリカ人、フランス人並びに公使に向かって発砲したことは、会って質す必要もない。あまりにもめくらめっぽうな所業であり不行き届の至りである。今は諸事一身で難儀なことが多く、中でも天皇が重要視され大変に心を痛めておられるのは外国との交際である。この事件は国全体にかかわる重大な事件で、天皇の権威が行きわたるかどうか問われている時であるのに、時節柄を省みず、天皇に恥をかかすようなことをしでかしたのは、許す事ができない重大な罪科であり、宇内の公法にもとづき発砲号令の者、各国の見証を受けて切腹することを申し付ける。
ただし罪科人を今日より七日以内に兵庫の町まで護送し、外国事務掛のものに引き渡すこと。
(要約)(大日本外交文書第一巻第一冊)

この罪状がいかに事実無根か明白である。事件の対象外国人は仏人だけなのに、アメリカ人の他公使を加えている。外国側の言い分を鵜呑みにして罪状にしている。しかも「発砲号令の者」として、被告人を特定しない白紙の死刑判決である。極端に言えば誰でもよいから、事件解決のためにはどうしても人柱になるものが必要なので、8日までに差し出せよという要求である。 

同日、新政府は備前藩士を死罪にするとの布告を山陽道諸藩に出した。

「神戸事件ニ関シ岡山藩士処罰通達ノ件」慶応4年2月4日
備前藩家老日置帯刀が前月11日神戸を通過する際、外国公使に向かって発砲したことを、朝廷は万国公法にもとづいて、発砲号令した士官には死罪、帯刀には謹慎を申し付ける処置をとったことを申し付ける(要約)
(大日本外交文書第一巻第一冊)

ここでも、新政府は備前藩側が“公使に向けて発砲した”と事実をねじ曲げ、その当事者を他藩が初めて目にする“万国公法”に基づいて処罰すると、一方的に通知しているが、こうでも言わないと、まだ攘夷思想が残っている諸藩が納得しないと思えたからである。
 

* * *

ともかく、この事件は明治維新政府にとっての最初の外交交渉となり、これを内部的には捏造による罪状の押し付けという強圧的な態度で臨み、対外的には列国の謝罪要求を全面的に受け入れ、只ひたすら平身低頭する態度で臨んで処理することになったのである。非常に情けないことであるが・・。

そして、明治以降の日本政府の外交交渉を公式に記録した「大日本外交文書」は、我が国の正史として本来は事実を正確に記述すべきものと考えていたが、最初の外交交渉から事実を曲げて記録されていることを知ると、何を信じて良いか分からなくなった。
 

(その14:終)

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