#62《神戸三宮の残念様(神戸事件:その10)》              
                                      
                                                             2011.01.05
                                                   (写真をクリックすると拡大)

事件発生(2)

白昼、三宮神社前で起き、後に“神戸事件”と呼ばれることになったこの事件は、とっさの間の出来事であり、その時の銃声に驚いた見物人はクモの子を散らすように逃げ去ったので、この事件の発端についての現場目撃者は少なく、それぞれの証言は大きく異なっている。

とくに本国に報告された外国人の証言を見ると「備前藩兵から先に挑発してきた」との一方的なものが多く、それらが伝承されるうちに歪曲されて「備前藩の発砲で外国兵人が死傷した」という具合に、この事件では一人の死者も出していないのに殺傷事件にまで発展している。
 

* * *
 

事実関係をより正確に把握するために、良く検証されている矢野恒男氏、内山正態氏、根本克夫氏らの著書(後述)を参考にしながら、この事件を再現してみたい。

その前に、この事件の発端になり、キーワードとなった侍行列の「供割り」と事件発生の「現場の状況」について説明したい。

[供割り]:武家の行列を横切る「供割り」は不吉な行為として固く禁じられていた。禁を犯した無礼者は切り捨て御免、つまり“斬り殺しても良い”と「武家諸法度」で定めていた。

事件が起きた慶応11日は既に大政奉還したとは言え、幕府にかわった新しい政府がこの時点で天下の武士階級に何の布告をしていたわけではなく、従って武士の規範となっていた「武家諸法度」は彼らの中に厳然と生き続けていた。

この行進する軍隊行列を横切る行為は、欧米文明国においても重大な慣習違反と考えられており、見物者は馬上におれば馬上からおり、着帽しておれば帽子を脱いで胸にあて行列が通りすぎるまで、その場で動かずに待つというのが儀礼とされていた。

そして、このときの倒幕の大義名分は“開国和親”ではなく“尊皇攘夷”であることに変わりはなかったということである。 

[現場の状況]:事件当時の居留地や三宮神社辺りの西国街道沿いの建物の配置を、岡久渭城著「明治維新・神戸事件」に掲載されている[事件突発地点と当時の居留地付近図]から知ることができる。

これを見ると居留地は造成されたばかりで、建物は運上所(税関)と旧海軍操練所以外はなく、広大な空き地となっていて、西国街道沿いや鯉川筋(大丸西側)には外人用の借家が居留地を取り囲むように沢山並んでいたのが分かる。
さらに、三宮神社東側沿いには「松屋」「俵屋」「鍋屋」など外人相手の店舗などが既にできていたのも分かる。
なお、この地図では街道の南側(居留地側)には店舗らしき建物はないが、目撃者の証言から推測すると何軒かの店があったようである。

 

* * *
 

兵庫の本陣で昼食をとった後、西国街道を東に進み、元町商店東端を通り過ぎて、大丸北側の街道に差し掛かったところから再現してみたい。 

日置隊350名は午後二時過ぎに、「下に〜下に〜」と声をかけながら、居留地を右手にみて東に進んできた。(記述によると、この隊列は武装した大名行列のようであり、実に物ものしく堂々たるものであったと言われている)
街道の両側には、もの珍しさも手伝って大勢の外国人が、この侍行列の見学につめかけていた。
一方、備前藩の殆どの藩兵も外国人を見るのが初めてであった。
彼等は大丸前にさしかかるや、毛色、目の色が違う大男が狭い街道の両側に並び、まるで高い垣根をなしているような光景を見て、先ず驚いた。
 

街道の両側には数件の家が立ち並び店舗もあった。行列が近づいてくると見物していた日本人は脇により、これまでのしきたりどおり土下座して通り過ぎるのを待った。
外国人でも日本のしきたりを知っているものは、胸に手を当てて敬意を表して見学していたが、これを知らない外国人も多く、彼らは帽子もとらず立ったまま無遠慮な態度で行列を見学していた。

岡山を出発してからこの居留地付近までは、道端の日本人は皆、土下座していたので藩兵達は彼等と目線が合うことが無かったが、ここでは狭い道の両側に顔面で目線が合うと言うより、大男を見上げながら(相手からは見下ろされながら)行進していた。
日置隊の兵は、こうした外国人の態度を「頭が高い上に、何と礼儀をわきまえない不遜なやつらだ」と厳しい表情で睨みつけながら行進していた。
 

こうした中、兵の一人が外国人を銃身で小突く場面もあった。外国人を小突いたのは、態度の無礼を咎めるだけではなく、西国街道と言ってもわずか間(3,6m)の狭い道なので、行進の邪魔だったからである。

その直後にも、見物していた外国人3人(1人は通訳)が隊の進行方向左から右へ大砲隊一番隊の前方を横切ろうとした。一番隊の隊長、瀧源六郎(善三郎の兄)は手真似で、列を横切らず行列の後方を迂回するように説得した。
通訳は日本の慣習を知っていたので、二人の外国人を説得し横切るのを思いとどまらせた。
これは、大きなトラブルにはならなかった。
 

 * * 仏兵の強引な行軍横切り * *
 

行進の先頭が三宮神社前に差し掛かったとき事件となった。

その時、人のフランス水兵が西国街道の北側、即ち行進する左側にある「居酒屋」から出てきて散歩していた。そのうちの一人キャリエールという名の水兵が、他の二人と離れて街道の向かい側(右側)にある雑貨店(地図には記載されていない)へタバコを買いに行った。
キャリエールがタバコを買っている間に、備前藩の隊列が店の前にさしかかっていた。タバコを買ったキャリエールはしばらく右側で休んでいたが、長い行列で通り過ぎるまでに随分時間がかかると思ったのか、立ち上がり隊列に沿って歩き始めた。
隊列の隙を見て横切り、二人の水兵と合流するためだった。

それを見た備前兵の一人が無礼を咎めたが、キャリエールは何のことかわからず、そのまま行列に沿って歩いていた。備前兵がものすごい形相で詰め寄ってきたが、それでもキャリエールは素知らぬ顔で歩き続け、家老護衛の景山万吉の前で右側から左へ横切ろうとした時に、備前兵がそれを阻止しようともみ合いになった。 

そうこうしているうちに行列はなおも進み、瀧善三郎が隊長を務める3番隊がさしかかった。善三郎の隊の兵士がキャリエールに後方へ回るように手真似などで説得したが通じなかった。そればかりか彼は顔色を変えて、杖を振り上げて「向こうへどけや」と大声を発し理不尽にも横切ってしまった。
(
これは供割り、即ちわが国だけではなく西欧諸国でも最も重大な慣習違反とされている行進する軍隊の行列の横切り行為である。彼も水兵とは言え軍人であり、行列横切りが無礼行為あることは当然知っていたはずである。もしそうだとしら日本の軍隊を随分馬鹿にして見下げたということになる) 

我慢に我慢をしていた善三郎もついに堪忍袋の緒が切れ、槍でキャリエールの脇腹をついた。キャリエールは倒れ、同僚のフランス兵二人が駆け寄って助け起こし、街道左側のプロシャ人の家に逃げこもうとした。組士が槍をもって追いかけていくと、キャリエールは開き直り携帯していたピストルを抜いて構えた。
それを見た備前兵の誰かが「鉄砲! 鉄砲!」(気をつけろ)と叫んだ。その声を聞いて先行していた多数の銃卒が駆け戻ってきた。
これはかなわないとキャリエールはプロシャ人の家に逃げ込んだ。家の中まで追いかけて行くわけにはいけず、備前兵は脅かしと腹いせの意味でもあったのであろう、居留地の空き地の空に向けて発砲した。

この時、現場にいたプロシャ人の証言でも「備前兵の誰も仏兵に対して発砲命令は出していない。その後の銃声は空き地の空に向かって威嚇のための発砲であった」と述べている。
 

* * *
 

後で事実が歪曲され問題となる下記の点について、再度、事実関係を整理すると、

1)この事件の発端は仏兵の理不尽な隊列の横切り行為である。

2)瀧善三郎が槍で仏兵を突付いたのは、仏兵の無礼を咎めるために行った当然の行為である。(仏兵も浅創のみで済んだ。 本来、切捨て御免になるところを命が助かっただけでも幸運といわなければならない。無礼行為ではあったが大した騒動とはならず両者に死者は出ていない。)

3)仏兵がピストルを取り出したので、藩兵の誰かが「鉄砲!鉄砲!」と叫んだが、これは“気をつけろ”という意味で発したもので、隊長の善三郎は仏兵に対して“発砲命令”はしていない。

4)その後、銃卒が空き地の空に向けて銃を発射したが、これは威嚇のための発砲で、外国人に向けての発砲や、各国の旗を標的として発砲したものではない。

5)事件は、条約で定める居留地(我国に裁判権はない)の外の西国街道で起きた。 

日置隊は、たいした事件にもならずに済んだので、隊列を立て直して生田筋を経て生田川に向かって西国街道を進軍していった。
 

* * *

この銃声に驚いた見物人はクモの子を散らすように逃げ去った。そして、この銃声は戦乱を避けるため大阪から神戸に避難してきたばかりの外国人にも、何とも形容しがたいショックを与えた。

このとき、イギリス公使パークスは居留地を視察中であり、この銃声を聞くや否や警備兵と沖に停泊中の軍艦から陸戦隊を上陸させた。さらにフランス、アメリカ両国を加えた警備隊を備前軍が行進中の現地へ向かわせた。

これより何でもなかった仏兵の行軍横切り行為が、大変な局面を迎えることになった。
 

(その10:終)

            戻る