#53《神戸三宮の残念様(神戸事件:その1)》               
                                      
                                                             2010.11.12
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この日記で、堺と神戸湊川の残念様を紹介したところ、同期の方から神戸三宮にも堺事件に似た残念様と言える者がいるので取り上げてみてはどうかと御指摘があり、さらに尼崎在住の知人から尼崎にも有名な“残念様”がいるとの連絡があった。今回これらを調べてレポートしてみることにした。
 

このうち神戸三宮の残念様というのは、大丸北側にある三宮神社の前辺りで事件となり、国家のため人柱となって切腹した岡山藩士滝善三郎のことで、神戸市民においては良く知られた事件である。

先ず、この神戸三宮の残念様から紹介したい。

新渡戸稲造は著書“BUSHIDO”(武士道)(翻訳:奈良本辰也)の中で、武士の切腹について、
「(前略) まず、切腹は自殺の一手段でないということを理解していただきたい。
切腹は一つの法制度であり、同時に儀式典礼であった。中世に発明された切腹とは武士が自らの罪を償い、過去を謝罪し、不名誉を免れ、朋友を救い、自らの誠実さを証明する方法であった」

と述べ、外国人が切腹に立ち会ったときの報告書を著書の中で引用している。

「我々(7人の外国使節団)は日本側の検視役に先導されて、その寺院の本堂へ招き入れられた。ここで切腹の儀式が行われることになっているのである。この儀式はまことに堂々として、忘れえぬ光景であった。(以下略)」
(ミッドフォード著:旧日本の物語)


と、諸外国見証人を前にして、従容として死につき男らしい態度を見せて感動を与え、日本武士道の何たるかを見せた武士こそ、この神戸事件で切腹した岡山藩士瀧善三郎である。
 

* * *

彼の切腹により、一時外国兵に占領されていた神戸の町は救われ、また発足したばかりの明治新政府も窮地を救われたのであるが、彼の自決後、新政府は無情にも備前藩に対してこの事件を口外しないよう箝口令を出した。
ために備前藩では、この神戸事件は以後口にも筆にもすることがタブーとなり、全国的にも殆ど知られることがなくなった。
国家によりこの事件が歴史から消されてしまったのである。

折角、一命をささげて同志、藩を救い、さらに外国の圧力によって危機存亡の立場にあった国を救った瀧善三郎からして見ると、全くの無駄死であり、非常に気の毒という他はない。正に残念様である。
 

* * *

我々神戸市民においても、この事件の詳細を知る人は案外少ないのではないかと思われる。

恥ずかしながら私自身も、この事件についての幾つかの文献を調べるまでは、三宮神社に掲示されている事件の説明書き程度の漠然とした内容しか知らなかった。

今回調べた文献を元にして、この事件の背景となっている兵庫開港までの経緯を織りまぜながら“連載物”にして、この事件の詳細を紹介してみたい。
 

(その1:終)

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