(10組 庄野清和)

皆さんの書かれた『同期の輪』は毎回楽しく、懐かしく読ませていただいています。折角、佃君から推挙され自分に順番が来たのだからと思い、二つ返事で“ありがとうございます”と返事し、次のバトンを大学が同じで、今も家族ぐるみでお付き合いしている、9組、 剣道部で四天王の一人と言われた、在米の大西明君にするとまで、返事をしてしまいました。 しかし、いざ自分が書こうとすると何を書けば良いか少しもまとまりません。

幸い1月16日(土)には49歩く会で恒例の新年会ウォークがあり、今年は小生が小4まで育った西柳原(恵比寿・大黒)をスタートに兵庫――>新長田(鉄人28号)を歩くので、仲間の顔を見れば筆も進むのではないかと「49歩く会・兵庫七福神めぐり&新年会」の日を待つことにした。

当日は案の定、待ち合わせの場所のJR兵庫駅では東京からの遠来組2名、初参加者、先輩1名など計23名が集まった。そして、兵庫――>新長田(鉄人28号)の道すがら兵庫中学、旧大橋中学、駒ヶ林中学、(須佐野中学は今回不参加)の卒業生が各場所でそれぞれ説明役になりながら少年時代の状況・思い出を語ってくれました。

小生の西柳原の住まいは大黒さんの少し東に位置するお寺の多い所であった。“えべっさん”の時期には大黒さんの境内での見世物小屋を良くのぞきに行きました。
当時遊んだお兄ちゃん、お姉ちゃんたち、一緒に通学した幼馴染みはどうしているのだろうか? 兵庫小学校に4年生までいてその後、名倉小学校、丸山中学、兵庫高校へ進むのですがその都度、兵庫小学校で一緒だった友人が数人いて懐かしく思われました。

中3の時には進路を含め自分の将来のことをかなりまじめに考えたことを覚えています。特に理数系の科目の方が好きで、船か鉄道にかかわる仕事、あるいは、東南アジアなど発展途上国にかかわりのある仕事をしたいと何となく考えるようになっていました。(これが少年時代の夢であったとすれば、ついこの間まで日本の空、世界の空をきれいにする仕事に携わり、まあまあ夢はかなえられたと自己満足している。)

兵庫高校では確か最初、中学時代にやっていた軟式テニス部の先輩に誘われ、勝田君と一緒に軟式テニス部に入ろうとしていたが、2人で相談すると“やはり運動部はしんどいやろなぁ”ということになり、勝田君は図書部に、小生はこれも中学の友人数人と化学研究部に入りました。菅沼先生、田原先生、和田先生、助手さん、先輩、後輩と共にそれなりに部活動を満喫しました。今では無縁になりましたが、試験管の振り方、試薬の扱いなどは当時は様になっていました。

クラスはイダテン、イダテン、キンタの3年間男子クラスでした。
2時間目の休み時間などにみんなが早弁を食べていて、井田先生がホームルームなどの授業に来られてみんながガチャガチャと弁当箱を片付けようとすると、“そのまま、そのまま・・・”といわれて早弁を容認されていたのがとてもうれしかった。

運動会の後のファイアーストームのフォークダンスの時に“女子生徒と踊れる!”とワクワクしていたら体が小さいので女子生徒役にまわり、行けども行けども男子生徒と手を取り合っていました。
運動会では、2年生の時に棒倒しで上級生の3年生に先勝しましたね、これは生徒会の役員達が各クラスに出向き学年の作戦を伝えて、それがまんまと当たったのですね。
これ以来、我々の学年(49陽会)は特に良くまとまっていると思うようになりました。

高校3年間を通して印象に残っているのは、「君たちは音楽、美術、書道など芸術的な科目があり、幸せだ。」と何人かの先生も言っておられました。確かにみんな個性的で自分が持ち合わせていない芸術的な豊かな感性に遭遇し、驚かされることが多く、いまだにその道を続けられている方には敬意を抱いています。

皆の顔を見ていると、高校時代の思い出は書き出したらきりがないので、これぐらいにして

昨年は、丸中卒業後50年にして初めての同窓会もありました。一回りほど歳上の恩師があいさつの中で「これからは人生は120年だから、まだまだこれからの人生を有意義に過ごすように」と言われ大変勇気づけられました。しかし、久しぶりに会った友人には「痩せたね!」と言われることも多く、特にいま病んでいるところはないものの、親父並みの寿命と覚悟するべきでしょう。(あとがあればおまけ)

たまには山の神にお供えも忘れず、読書も理科系に偏っていたものを多少は仏心を起こすものに変えながら、定年後始めたわずかな貸農園での野菜作り、環境NPOでのボランティア活動に、1日、1日を精いっぱい生きて、これからも同期の輪を広げ、お付き合いを永く続けたいものです。 1月16日(土)の「49歩く会・兵庫七福神めぐり&新年会」の写真風景はホームページに掲載されていますのでそちらをクリックください。(写真風景

(追加分)実はここまでで、終わるつもりだったのですが、本文作成中に書いたり、消したりした“老化現象”のことです。1月29日(金)これも恒例になった49陽会新年会が神仙閣であり、54名の参加者がありました。受付・会計をしていたので勘定など終わり、最後の空いた席に付きました。1〜3組の皆さん、遅く来た人など名前も、顔も知っている中に加えていただき、いつものようにウーロン茶を飲みながら、1、2種類料理を口にした頃、
遠来の熊谷君から「庄野は中学はどこや?」と聞かれ
「丸中」と答えると
「今日、何人来ているの?」と聞かれました。
昨年丸中の同窓会も経験したばかりで、今日受付をしていた自分がモタモタと2〜3人名前を挙げるうちに、
兵中卒で、遠来の熊谷君の方が先にスラスラと9割方まで名前を挙げました。
熊谷君はいったい何者? 

自分は最近、漢字は出てこない、人の名前は思い出せない、地名が出てこない、ちょっとした言葉がタイムリーに出てこない、人の話を瞬時に理解していないなどの経験はしょっちゅうです。家内からよく言われる“パソコン症候群”のようにパソコン中心に生活習慣が変わったからだろうか? いやいや、完全に老化が進んでいるのだろう。ボケ防止になるのか、ならないのかわかりませんが、連想ゲーム的に一生懸命思い出す努力は常にしております。しばらくして思い出し、あっ!そうだった。と思うのですが、忍び寄る数々の“老化現象”を自覚し、注意したいものです。

来る49陽会の50周年記念同窓会で熊谷君に「庄野はH22年の新年会ではまだ丸中卒2〜3名の名前を挙げられていたのになぁ」と言われないようにしたいものです。今日の強烈な経験を自分の老化のマイルストーンとして敢えて追記しました。
以上、2日分の日記風になってしまいましたが、『同期の輪』の原稿とさせていただきます。

大西 明君、お後をよろしく!

お断り:
寛大な49陽会の皆さま! 会合、行事などで気ままにビデオ・写真撮影などしておりますが、本文をお借りしご容赦をお願いします。いずれ、編集してご希望の方に貰っていただければと考えております。
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