(10組  佃[堀江]由晃)

 仕事を辞めて年金生活に入ると決めた63歳の年に、これからどんな生活をしようかと考え、これまでの人生を振り返った時、「原子力」という言葉しか思い浮かばなかった。関電に入社し、3年後から退職するまで約40年間原子力だけの人生であった。

 

原子力は当初は希望の灯のように受け止められたこともあったが、やはり新しい技術にはトラブルがつきものでチェルノブイルの大事故以降原子力に対する信頼が大きく低下し現在に至っている。

 

原子力の潜在的な危険性、リスクは非常に高いものがあるが、それは人間の知恵でコントロールできる範囲内のものであると考えている。発電所の現場は規則が多く、地元や国、マスコミ等、周囲から常に監視されているような気分で常に緊張状態にあるが、それが発電所の安全運転を維持する源ともいえる。

 

自然エネルギー、再生エネルギーの活用は重要であるが石油生産量が近いうちにピークを迎えると言われており、原子力以外の大規模代替エネルギーが見つからない状況においては原子力の役目は非常に高いと考える。

 

昨今の世界各国の取り組みを見ればそのような方向性が理解できる。原子力を進める上で最も大事な事は、原子力に従事する全ての人間が日々安全最優先の行動が出来るように組織全体のマネージメントが出来ているかどうかにかかっていると思っている。

 在職中は単身赴任が長く、阪神・淡路大震災の時も若狭湾の発電所で勤務しており、震源地は地元であると思い発電所に異常がないかどうかの確認が終わった後、TVで初めて自宅の近くが震源地であるとわかり車で飛んで帰った。家族全員無事を確認するとすぐに発電所に戻った。

 

またかみさんが心臓の手術をしたときも手術の当日は病院に付き添ったがあとは娘や家族にまかせ発電所にすぐに戻ったり、また正月といえども交代で現場に残る必要があり、年末年始に家にいないことも普通のことであった。家族からはそのようなことに対して一度も不平不満を言われたことがなかったので精一杯仕事が出来たと考えている。

 退職する前に考えたことは、仕事関係の人で付き合いを継続したいと思えるような人がいなかったこと、現役時代は殆ど神戸に帰っておらず、クラス会は全く出席したことがなく同窓会も時折出席できただけで学生時代の付き合いも断絶していたので、神戸に帰っても浦島太郎状態のため(後日安本さんから通称タロウと命名された)、とりあえずオーディオを楽しもうと思ってリフォームし、時間があるとき自宅のピュアオーディオを楽しんだり、クラシックコンサートを時々聴きに行っている。


 退職後の生活を一変させてくれたのは、かみさんが49陽会のつながりをずっと継続していたので、そのグループに参加しこれがきっかけとなって多くの
49陽会のメンバーと旧交を温めたり新たに友人としてのつながりが拡大していることです。

 

和田幹司さんからは安本さん、門田君、中嶋君などと鷹取のFMわぃわぃで我々独自の放送番組をやろうとの提案を受け、現役時代とは全く違う世界に飛び込むキッカケをもらい、更にそこから新しいつながりがどんどん増えていく楽しさに充実した毎日を過ごしています。

 

このバトンは同じ10組の庄野清和さんに引き継ぎます。

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