(4組 小早啓之)

49陽会の皆さん、明けましておめでとうございます。
2010年も元気で、楽しく過ごしましょう。

アメリカ、オランダ、イギリスでつごう17年の海外生活
私は1984年の12月、41歳の時にニューヨークに転勤して以来、途中3年間の横浜勤務を挟み、ニューヨーク・ニュージャージで6年、オランダ・ロッテルダムに2年、そしてロンドンで9年仕事をしました。仕事の面でも、私生活の面でも非常に充実した17年の海外生活で、思い出がいっぱい詰まっています。この稿では私達夫婦のイギリスでの交遊模様について書くことにします。

多国籍の人々と親しく
私が勤めた富士貿易は、海運や造船のフィールドで舶用機械・部品・船用品などの販売や、船舶や機械の保守・修理などの技術サービスをグローバルに展開している会社です。海運そのものが国境のない、非常に国際性豊かな業種ですが、そのフィールドで働く人たちの国籍・民族も実に多様です。私がイギリスで、日ごろ仕事上で付き合っていた人たちの国籍を考えてみますと、もちろんイギリスが一番多いのですが、15ヶ国以上に亘っていました。重要なお客さんには夫婦で我が家に来てもらい、妻の手料理でもて成して、一層親しく付き合うようになっていました。また、夜ロンドンでディナーの接待をする時も、できるだけ夫婦同士で時間を過ごようにして、交遊関係を広げていきました。

妻は高校の先生
妻節子は、ある縁で、イギリスの公立女子高校の日本語の教師に採用され、8年間勤めました。その学校の外国学部の生徒は、フランス語が必須で、さらにもう一ヶ国語を選択するのですが、選択できる言語の中に日本語が加わることになった年に、節子が先生として採用された訳です。後半の3年間は、家庭の事情などで勉強が進まない生徒の相談役カウンセラーの仕事もしていました。節子は学校で先生仲間と親しくしていましたので、お互いに家に呼んだり、呼ばれたり、私も何組かをよく知るようになっていました。

ご近所のホームパーティー
私達が9年間住んだのは、ロンドンの中心から南へ約20キロの町で、ロンドンのオフィスには電車通勤をしました。向こう三軒両隣のご近所とは、家族の皆さんと日常声を掛け合い、何かあると家に出入りする間柄でした。これらの家と、さらに繋がる10軒余りのご近所では、年に1,2回どこかの家が、50歳の誕生日だとか、家の改修記念だとかの理由をつけてパーティーを催して、私達も招いてくれました。ミレニアム・イヴ(1999年の大晦日)には、斜め向かいのAndrewが仮装パーティーを開いてくれて、私達もわずかですが“仮装”らしき格好をして参加、というようなこともありました。だいたいこういうパーティーは50-60人の規模です。この地域は所得階層が‘中の中から中の上クラス’が住むところで(イギリスに限らずヨーロッパの多くの国では、所得階層によって住む地域がくっきりと分かれます)、家のサイズはイギリスの基準からすると大きくはないのですが、庭に比較的余裕がありました。これから書く我が家でのパーティーでは、その庭が大いに役に立つことになります。

私達の送別パーティー
2004年6月、いよいよ9年住みなれたイギリスの家を離れるその2週間前に、ご近所に倣って私達自身のFarwell Partyを我が家で催しました。招いたのはご近所の人15組30人、節子の先生仲間とその夫とか妻15人程、私の仕事の関係とその他で15人程、合わせて約60人。この内日本人は4人でした。大きなパーティを家で開くことが初めての私達に、向こう三軒両隣の人達は準備の段階でいろいろ助けてくれました。BrendaとSueは、2週間前から節子と食べものの買い出しと準備を一緒にやってくれ、私はPhilから、用意するべき飲み物の種類・ブランドと数量をアドバイスをもらいました。そのPhilは前日に、自分が持っているパーティー用の簡易テント(marqueeといいます)を2組我が家の庭に設営してくれました。そして当日の午前中にはKeith、John、Andrew達がそれぞれの家から、パーティー用のテーブルや椅子、その他小道具を次々と我が家の庭に運んでくれました。

お客さんは7時ごろから三々五々やってきます。私達は玄関で中に招き入れるだけ。後は好きな飲み物を自分でピックアップして、あちらこちらにできた人の輪に加わっていきます。皆さんそれぞれが好きなだけ飲んで、おしゃべりに興じて時間を過ごしてくれますので、当方の手は掛かりません。私達も一緒にこのパーティーを楽しみました。お客さんは10時ごろから少しづつ減って行きましたが、12時になってもまだ何組か残って話に花を咲かせていました。
皆さんこのパーティーを大変楽しんでくれました。皆さん一人ひとりと、お互いの健康と幸せを祈って、そしていつか再会できることを楽しみに、固い握手とハグを交わしてお別れをしました。海外生活最後に催した最大のイベントは大成功でした。

日本古代史の勉強が引退生活のテーマ
昨年6月に43年勤めた富士貿易を退職し、引退生活に入っています。これまで西欧文化に文字通り浸ってきましたので、“これからは日本を知るべし”と、日本の古代史の勉強を引退生活のテーマに決めました。遷都1300年を迎えた奈良に隣接する、京都府木津川市に住まいしたことも、古代社会に興味を持つ契機となりました。9月から週2日奈良大学に通い、40以上も歳の違う学生と机を並べて聴講し、昼食を学生食堂で取り、残りの時間を大学の図書館で過ごしています。この春からは、受講科目を増やすと共に、古代に書かれた原典の講読演習にも参加させてもらって、より幅広く勉強を進めていきたいと考えています。

ではこのバトンを、50年前にこの言葉あったら、きっとそう呼ばれていたであろう、イケメンの10組堀江由晃さんに、引き継ぎます。

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