(4組 野条孝春)

49陽会の皆様、お元気ですか。4組の野条孝春です。 
5組の後藤潔君からバトンを受けて、駄文を寄稿させていただくことになりました。

 私は夢野中学出身ですが、兵高時代の友人の多くが湊中学出身者で、後藤君も、その中の一人です。それというのも、湊中出身の画家 坂本吉章君の家でマージヤンをやっていて親しくなった仲間なので、必然的に湊中出身者が多いという訳です。

 彼のお母さんが中心になって卓を囲むのですが、終わってから、よく、お茶漬けをご馳走していただきました。それに添えて出される大根の浅漬けの旨さは、もう絶品で、いつも皆と感激して、よばれていたものです。未だに、あれ以上おいしい大根の浅漬けに、めぐり会ったことはありません。
そのお母さんも、今は故人となられました。

 さて、私は63歳でリタイアしました。離職の数日後、所用で外出した際、昼食時にメニューを見ていたら、<ビール>の文字が目に飛び込んできました。あっ、そうだ‼ ビールがのめるんだ。現役時代、昼食時にアルコール類をのむなんて、特別な時以外、許されないことだったので、嬉しくなって、とりあえずビールを注文しました。ささやかな、しかし確かな実感を伴って自由を感得した瞬間でした。

 飲みたい時にお酒がのめる、やりたい時にやりたいことがやれる。その時間がある。夜更かしが許される。朝寝坊しても構わない。24時間すべてが自分の時間だ。こうして現役時代の様々な縛りから解放されて、リタイア生活が始まりました。

よくリタイア後を第二の人生と言いますが、私は人生を三分割して考えた方が自然に思えます。第一は親に扶養されていた時代。第二は独立し、結婚し、子供を育てる時代。第三がリタイア後の時代です。そして今の私の心を占めているのは第一と第三の時代です。

 第三の時代はまだこれからですが、第一の時代は、もう手の届かないところにあるので、それだけに、いとおしく、大事にしたいと思うのです。今のうちに大切な記憶の断片の一つ一つを拾い集めて反芻し、失わないように整理しておきたいという思いが、第三の時代の入口に立った今、特に募ってきました。 
 
 この時代の中でも、幼少年時代を過ごした尼崎を懐かしく思い出します。阪急神戸線園田駅近くで、三歳から十二歳まで暮らしました。昭和二十年代ど真ん中です。

 近年、映画「allways3丁目の夕日」の影響か、テレビ、冷蔵庫、洗濯機の三種の神器、それに東京タワー等、昭和三十年代がマスコミで取り上げられて、三十年代が懐かしい昭和を代表する時代であったかのように印象づけられていますが、あれは我々より一回り若い世代のアーチスト達に依っているから、当然そうなるのであって、彼らにとっては、東京タワーや三種の神器が昭和なのでしょう。

 でも私(我々)にとっての昭和は、何と言っても二〇年代だと思うのです。
あの、ゆっくりと時間の流れる感覚。のみならず、戦前から時間が止まったままではなかったかとおもわせる、静止した空気感。それらは正に今では得難いものです。
――今では聞けなくなった様々な行商人の声……竿竹売り、金魚売り、チリンチリンとカネをならして回るアイスキャンデー売り、ハッタイ粉売り、ポン菓子屋、紙芝居、こうもり傘の修繕屋、鍋の修繕屋……。

 それらのすべての声が、いまでもはっきりと耳に残っています。
そして行商人達が去った後の、誰もいない住宅街の白い道。そう、当時の道は舗装されていない土の道で、陽に照り映えて白く光っていました。

 そして、昼下がりの住宅街静謐(せいひつ)そういえば現在では、人の営みのあるところでは、静謐という言葉は死語になったと思いませんか。いくら静かに思える住宅街でも、エアコンの運転音、遠くを走る車の走行音、何やら分からない耳鳴りを思わせる音、等々多くの人工音から逃れられません。

 貧しくて不便な時代だったけれど、確かな豊かさがあったと誇れる時代。人生のわずかな部分であったとしても、あの昭和二〇年代を生きることが出来て、良かったと、しみじみ思います。

 次にリタイア後の第三の時代ですが、自分としては自然体が一番と思っています。自分を律することをせず、自分の心と体が求めるものに素直に従う。あれをしよう、これをしようではなく、あれをしたい、これをしたいという思いに忠実に、ということですね。こう書くと、だらけた生活をしているように思われそうですが、体力(筋力)が衰えるのを恐れるほうなので、体にいいことは意識してやるようにしています。
  
 先ず車は出来るだけ乗らない。専ら徒歩と自転車です。5キロ、10キロ先に買い物に行くのでも、当たり前のように自転車です。

 又京都西山の近くに居るので、よく山歩きに出ます。気が向いたら、昼からでもウエストバッグにペットボトルを入れて、ふらっと山に行きます。熊野古道ならぬ、西山古道なる道を行くのですが、半日歩いて、一人も出会わない日もあるほどローカルな道です。又それがいいんです。

山以外では、同級生と誘い誘われしてゴルフなどを楽しんだりしています。本当に兵高の仲間はいいですね。と、まあ、こんな調子で,しばらくは行きそうです。それでいいと思っています。

 そして‟終わり良ければ,すべて良し„という言葉通り、人生の終わりを良いものに出来たらいいなあ、と思っております。

 最後になりましたが、一昨年の秋、脚本家を志して上京していた私の娘が日本放送作家協会主催のシナリオコンクール ⎾創作テレビドラマ大賞⏌で最優秀賞を受賞いたしました。作品はドラマ化されて、今年の2月にNHK総合テレビで放送されました。このことは、このホームページでも お知らせ欄やトピックス欄に掲載されたので、観ていただいた方もいらっしゃるかと思いますが、この場をお借りして、お礼申しあげます。今はNHKの脚本研究会に入れていただいて勉強しているようです。

次は、その昔、口角泡を飛ばして議論し合った、同じ4組の 小早啓之君にお願いしてあります。

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