今頃と前頃( 4組 北村哲郎)
                           

9月24日午後成田着の飛行機でブラジル(伯国)とボストンから帰国した。
或る企業から委託を受けて(今回はフレキシブル・パイプ゚と言う深海の石油やガスの油田開発に海底油田の坑口装置と生産プラット・ホームを継ぐ特殊な技術で製造する 、撓(たわ)む パイプのことで)調査をアウト・ソーシングされて出掛けた。

大槻丈彦君から出掛ける前夜に49陽会のバトン・リレーの「同期の輪」に投稿させられることになった。自分はおっさんの英語奮闘記とやらを書き上げた 、次を頼まんとあかんねんと熱弁するので、前夜になんぼ断っても眠くなるし生返事で引き受けた様な受け答えをした。

8月18日(2006.8.18)神戸夏の懇親会に出席した時、遅れて入った時に、門田成延君(川池小)から既に「同期の輪」の説明が在ったんだなと想像した。
あの時もノルウェー(諾威)に出掛ける2日前で出席を迷い倦んだ末、 今春4月23日東京49陽会ゴルフ会が山本和利君(兵中)と井上良三君のクラブ「富士ヘルス&カントリークラブ」で在った前夜 、玉野功君が御殿場のホテルをツインで誘って呉れ、東京-神戸空港の新空路に「乗ったで」と話したのを想い出して、深夜バス開設初便に乗ったこともあるしと、夕刻6時の羽田発、スカイ・マーク・エアラインズに駆込み搭乗したら午後7時に神戸空港に着いた。

神戸空港開設は、神戸市役所東京支所長だった不老嘉彦君が果敢に中央政・官・財界に実現を訴えて居た。ロビー直結のポーアイのポートライナーの延長線で三宮 、そして兵庫駅の「神戸ルミナスホテル」に7時30分に入ることが出来た。 羽田から所要時間1時間半で会場に到着出来るのである。宴も酣で早速要請され下手な挨拶をした。

「神戸ルミナスホテル」は場所からして兵中1年の時同じクラスで、旅館経営をして居た東沢栄宥君の処ではないかと想像して居たが 、矢張りそうだった。
旅館であったのだが14階位の大きなホテルに成ってインターネットで見ると明石ルミナスホテルも載って居り、神戸港クルージング等セット企画で神戸をツーリズムから訴えようとして いる。
東沢君とは其の後は一緒の時はなかった。野球部から兵高に合格した時は盛んに勧誘されたが友光祥八君同様、断り切った様だった。

ルミナスの数100m北に材木商で同志社に進学して東銀に入った寺島健君が居た。内幸町支店長の時に昼飯を喰ったことがあったが 、其の数年後に他界された。
少し東側に西島宏志君の会社が当時から在って今や大社長である。同界隈に兵中出身で兵庫高校ブラスバンドを全国レベルに引上げた吉永陽一君が居た 。彼は芸大の平吉毅州先生(42陽会)にも師事し、兵庫県吹奏楽連盟理事長をしている。僕もブラバンを遣ったのだが3年下の吉永先生が「北村さんの薫陶を受けました」と言ってくれるのが嬉しい。

兵庫高校バラスバンドは本年(2006)創部50周年を迎え3月25日(土)神戸国際会館で記念演奏会を開催した。1月初旬に歴代部長会が発足し準備を開始した。
藤井秀喜君の息子がセミプロの指揮者に成長し当日来た。

僕等の同期では衣笠一郎君、坂本至君、渡辺洋之君、(安田健二君、廣岡 勉君)、初の女生徒部員、長谷川(半田)久子さん、松岡(嶋津)祥子さん等が居た。東京で初代45陽会の竹中興時氏を発掘しBBOB(ベベオベ)と言う名前を 、バルドーと言う女優に文字って付して先輩との交流を図って大いに楽しんだ。

又別に42陽会中心で南山庸光先生を囲む歌の会も数年在った。竹中先輩は三菱商事で紐育に赴任したので海外出張の時は必ず寄る様にしてミュージカルやコンサートの切符を手配して貰った 。3月25日は人生で嬉しい日だった。 50周年来の部員達が祝賀懇親会に一同に会したのだ。

寄付は奮発させて貰って49陽会がトップになった。翌日、招待を受けて47陽会の荒木康敞先輩の片山町の自宅を訪問した。
荒木さんは東京の浜中浩一と言う日本の草分けのクラリネット奏者にレッスンを受ける程の腕前だったが、親父さんの反対等で芸大-N響という夢を棄て同志社に行った 。
然しジャズも好きで荒木さんの自宅に辻征夫先輩と夜遅く迄集まって親を心配させた。
40年振りだが先輩との時差は不思議と無い。
奥さんは同じ47陽会の当時の音楽部ピアニストの旧姓・谷美津江さんである。

家庭菜園の新鮮な鍋料理の後、勧められて泊まらせて頂くこととなり、翌早朝から高取山頂上のラジオ体操兼山登りに連れて行かれた 。未だ朝早い帰り道の山小屋でビール2本の後、梅入焼酎を熱燗でコップ2杯宛飲んだが其のうまかったことは想い出に重なる 。午後の珈琲を喫茶店で喫して感謝いっぱいで辞した。「お母さん心配させんように、はよ神戸帰って来んねんで」と言う荒木さんのことばに僕もええ先輩持っていると自負しながら歩いた。

さて8月18日の神戸ルミナスホテルの会場へ戻って、2次会に行くのは大体、中尾(児山)義幸君と神仙閣の梁瀬國財君のグループに一緒が多い 。川畑俊治君が出て来れば勿論一緒だ。中尾(児山)、川畑とは1年松田毅先生(後校長)のクラスだった。

当時、児山義幸・米田道彦・川畑俊治が中学時代、柔道で全国レベルの少年で3人が奇しくも1年2組に集まったと言う風聞だった 。と言うより児山とは川池小学校から一緒だった。小学校の時からゴッド・ファーザーで喧嘩の強い2極の筆頭同士を戦わせるる様なことをして居た 。彼と僕とも口喧嘩をして口を聞かなかったり逆に肩を互いに深く組んだりして歩いた。二人共半ズボンだった。中学で別れたが 、兵高1年で顔を合わせた時、痩身の僕のことを「身体は前の侭で頭丈大きなった」と笑った。部活で放課後一緒の時が在り 、児山は僕を校庭一周のツアーに連れて行った。

ラグビーの耳隠しとスパイクの音を発てる威丈夫の彼は全くカッコ良かった。一周しながら野球部の川畑君や松尾嘉彦君を「玉も来んし暇やろ」とひやかした。
勿論、(僕は)体操部の李瀛さんや赤堀静江さんを横目で見た。

数年前、「松田毅先生は人格者」「運動部だけで集まるべきや」で3人が一致し、神戸で「1年2組と運動部」と言う趣旨曖昧な会合を神仙閣で打上げたら35名以上の盛況で 黒田武伸氏も来て呉れ、東京から2組の国木田之彦君、久保義昭君も帰神した。会合に余り出ぬ米田道彦君も松尾嘉彦君と来た 。和田俊二君は米田君の柔道組み手で、家族ぐるみの付き合いと聞いている。 関学の日本拳法部で、此の時以来、東京の全国大会審判で、連絡を貰い観戦に行って居る。熊谷彰君も参加した。

1年2組の時、下野勝昭と言う剣道部の美男子が居た。川畑と会いたいなぁと話して居たら北海道出張の機会が出来、遂に会った。
北大農学部後、農業試験場長をしていた。札幌で勿論飲み明かした。定年後は台湾に雄飛すると言ったが深川市で拓大環境農学科の講師に成ったと挨拶状を貰った。
北海道に行った時は歌姫、花和美奈子旧嬢にも会ったこともある。
 
川池時代をもっと振り返ると、江本弘次郎君が居て、小5ぐらいで50mを7秒代で走っていた。加納総五郎君と川島博行君は最近会合で見ない 。特に川島君とは、当時クラスと生徒数が多く奇数組と偶数組で2編成に成って居って、学芸会の演劇の時は川島君と僕が両奇数 、偶数の主役を6年間遣り通したと言う縁だ。小学1年来の小早啓之君が英国倫敦時代、出張時に数回ゴルフして貰った。

兵高で出会った友人で2年で同クラスの堀毅君(港中)とは東京でより親しく成った。彼が台北支店長時代、数回に及んで出向き 、ゴルフ練習したが僕の方は一向に腕前が上がら無い。
彼が青山の寮で剣道の練習に参加しろと誘うので数回夜行って参加して風呂に入って川崎汽船の連中と寮で懇親して後2人で外に出て食事した。 45歳で船橋で剣道を始めて僕でも三段を貰ったが余り口外には及ば無い。唯、体育館で公式試合の時、3つのコーナーが既に終わり自分達丈が、2階席からも注目された時、身体中が熱く成り俄に遣る気に成り若干だがスポーツの幸せを感じたことがある。

帰神時必ず会うのが臼井弘行君だ。兵高時代家に遊びに行ったし、卒業後も欠かすこと無く続いている。3年の時一緒だっただけと思うが気が合った 。兵庫県庁だったので県の行政の話しを視野広くして呉れる。 スポーツ談義と講評は絶妙だ。会合に出たことが無いと思うが彼の人格は他も認める処が在る。凝り性でゴルフは一緒に遣って無いがシングルではないかと思う。
夢中で、松尾嘉彦君や内山祐周君に連絡を拡げることもある。

東京で親しくなった大槻丈彦君や中西靖君は、東京の私大だがサンドウィッチマンや格好だけのバンドマンをキャバレー等でアルバイトしたとのことだ。
新居誠彦君は足利工大講師、長濱保之君は現在カメラマン、中野誠氏は家裁調停委員、藤田高明氏はハッタテクノ社長、高原洋氏は関東・関西に店舗網を持つダイナック社長だ。

橋本博佳、橋本利武、正田秀明、岩国信彦、岡部恵行、鎌倉正義、川原登、北島敏雄、日下勝久、国木田之彦、桾本攻、下西幾二 、久保義昭、田中章雅、真木晶弘、 松田瀬戸一郎、三船晃一、圓尾紀一朗、山本和央、鷲尾具彦、和田建明、大道賢二各君等が顔ぶれだ。

西島宏志氏は相変わらず神戸と東京を往復されている。初参加の旧友が現れれたり神戸から上京が解ると会合する。坂本吉章画伯が銀座の文芸春秋画廊で個展を遣る時に集まって居る 。彼の巴里ドゴール空港から遠くないコンドミニアムで1回泊まったことがある。

東京49陽会は今や組織が出来た。20年位前と、数年前還暦時の2回40名以上の大会合も遣った。石川睦夫氏を会長にして山本和利、下西幾二、真木晶弘 、岸本晋吾、井上良三、熊谷彰君等を幹事団とし、春・秋のゴルフ会と懇親飲み会も定着した。

最近47・48・49陽会の三陽会のゴルフ会が発足して5回目位に成る。小林貞五元生徒会長や48陽会の幹事は田淵(安江)多美子さんの御主人の田淵啓仁氏であり 、最年少の我々は神経を使う。東京武陽会で顔が利いているのが岸本晋吾君だ。
東京49陽会ゴルフで長谷川(半田)久子さんは女性ゴルファーと言える腕前だ。

東京49陽会のモットーは“仲良しグループ”だ。山口道雄氏の45周年に向け益々楽しく成るだろう。

次の「同期の輪」は立命館で応援団旗手だった、此処数年、平野文久氏との関係か、とみに親しい宇野秀樹君に御願いした。固辞しているが何とか御願いする 。僕も海外コンサルの真似事で報告会を2日後に控えているが、遅れているこちらを先行した。

追記
僕の祖父は大丸の近くに外国居留地と言う処で外国商社の支配人をして居たそうだ。中山手の自宅は戦災で灰になって了った 。戦後兵庫が住いとなり、兵庫で育ち現在又祖父の地に戻って居る。
10年も前、故人となった親父は甲南で鍛えられた貴公子と母が言うが、東北の電気工学に進んだが祖父の業界に転じ船会社に勤務した 。親父と47陽会の兄から安本(伊東)久美子さんは親父の知る船長の娘さんだと聞かされていたが、ああそうかなと思っていただけだった 。今回「同期の輪」が遅れて了い、清水友幸氏と共に大変御心労を掛けたことを心からお詫び申し上げます。
                                            49陽会 北村哲郎 (2006.10.11)

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