『ど根性朝顔』               5組 正田 秀明

カミさんと二人きりの、秋を思わす肌寒い静かな週末、鳴った電話の声が言った。
「兵庫高校出身の正田秀明さんですか?」一瞬で時が跳び、名倉小学校に、丸山中学に、兵庫高校に戻った。 何故か相手に「玲子ちゃん?」などと反応したりして…。 いつもふざけて、いじめていた通話相手の50年以上前の顔が甦る。「最近、神戸に行くことが多いのですよ」と話しながら、何も考えず勝手気儘に過した神戸の日々が甦った。

「同期の輪」に何かを書けといわれて、さて。書くネタはいくつか有りまして、たまに人に頼まれて駄文を提供しており、書くにやぶさかではございませんので、快く引き受けましたが。ここは場を考慮して穏やかな内容にしました。夏の終りのお話です。

              『ど根性朝顔』
心あてに、それかとぞ見る白露の、光そへたる「夕顔」の花が好きで、毎年月のゴールデンウイーク頃に、前の年に採取した種と新たに買い求める数本の苗を植える。

好きな理由は、夕顔はその開花をリアルタイムで楽しむことが出来るから。同時期に植える朝顔も、早起きすれば夕顔と同様に楽しむことが出来るだろうが、朝顔の開花時刻に立ち会うには前夜の延長線上となってしまうので、後のことを考えれば些か二の足を踏む。
さりながら夕顔は、暮れなずむ頃、はらりと開く。ものの数秒で全開する。この開花を目撃できる楽しみに、毎年植える。

    

さて、ど根性朝顔。 
毎年、夕顔と朝顔を植える頃から数週間後、芝生の隙間に小さな芽を出す朝顔が一つ。なぜか必ず一つだけ、毎年同じエリアから芽を出す。数枚のささやかな葉を持ち、決して掌の長さには届かない。なぜか蔓が延びず、それ以上に存在を主張しない。

やがて小さな蕾みを持ち、真夏に花を咲かせる。鉢に植えた、蔓を一杯伸ばして思い切り伸び盛る鉢植えの大輪の朝顔と異なり、わずか34センチの小振りの、やはり存在を主張しない穏やかな薄い赤紫の花である。ワンシーズンに34個の花を咲かせる。そして静かに終焉を迎える。
毎年この繰り返しである。落ちた種も数少ないだろうが、何故か翌年芽を出すのは必ず一つだけ。 

夏が来る度にこの朝顔は、夕顔の開花と又違った、名もない星が小さく瞬くようなささやかな楽しみを与えてくれる。

       

                            
                            『ど根性朝顔』終わり

幸い、労を厭わず尽力してくれる世話役に恵まれて、東京の49陽会は毎年数回の飲み会、ゴルフコンペがあり、いつも楽しみにして参加している。
見た目は多少?経年変化していても、この場は皆、ガキに戻り、成長ってなかなか無いものだなぁと自覚できる素晴らしい場である。 

之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。
(物事への関わりは知、好、楽を経て深まり、自分になる。)という、論語の言葉が好きで、楽しいかどうかだけを判断基準に「年甲斐も無く」「顰蹙を買う」生き方で、これからも後六十年程の限られた余生を楽しみたい。

子供達の「お袋さん、間違っても親父を残して先に逝くなよ!!」という嫌味な声援に応えながら・・・。

                                   以上
 

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