4組  佃 靖子 

李さんからバトンを受け継いだ4組の佃 靖子です。
受けたものの、何を書いて良いのやら戸惑い、歩んできた道を書かせていただきます。

高校卒業後姫路短大に入学。遠距離通学ならではの、楽しい学生生活を送りました。山本温子さんと同じく淀屋橋の住友ビルでOL生活を楽しむはずだったのですが、卒業試験の頃から体調を崩し入社式を終え配属も決まったのですが、調子は悪くなる一方、仕方なく退職し治療に専念せざるを得ませんでした。神戸の病院を転々と入院したのですが一進一退、いっこうに良くなりません。その後阪大病院でようやく治していただき、以後通院する事になりました。会社には申し訳なかったと思っています。

長年住み慣れた平野から今住んでいる学が丘に引っ越して30年余りが経ちます。子育て、受験、子供の成長を楽しみつつ平凡な日々を過ごしました。長い間のブランクですっかりおとなしく?なったようです。家の近くの小高い丘には、昭和天皇・皇后両陛下が全国植樹の際、お立ち寄りになられ苗木を植えられた松が成長し、昭和天皇・香淳皇后御手植えの松として大樹になっています。その高台には健康公園があり、見晴が良くウオーキングに格好のコースです。主人は良く行っておりますが・・・
北には地下鉄学園都市駅ができ、垂水、舞子にも出られ、本数は少ないものの、三宮、神戸空港直行バスも出るようになり、ずいぶん便利になりました。

多くの犠牲者を出したあの震災、我が家も傾きましたが、お陰で全員無事でした。ガス、水道が3か月使えず、主人は単身赴任中であり、水汲を始め馴れない生活に体は悲鳴をあげていました。そのような中、娘の結婚式を3月に挙げ、ほっとした時、30年間お世話になった病院の先生がお亡くなりになりました。日頃から「内科的にはこれ以上は仕方がないから手術を」と勧められていましたがが、何せ心臓の事決断がつかず延し延しにしていました。娘も良き伴侶を得た事だし、信頼してきた先生もあれだけ進めて下さった事だから今がチャンスだと思い、吹田の国立循環器センターで手術を受けました。

朝皆に送られ手術室へ、気が付いた時は夜、集中治療室(ICU)でした。鼻から口から腕から管だらけ、一人一人異なった音やリズムで点滴の様子を知らせる音。どこからか聞こえる譫言、麻酔から目覚めぬ患者にバケツを叩き名前を呼び眠りから覚ます、けたたましい音、慌てている様なお医者さんや看護師さんの声、時には夜中に「お父さん お父さん」と叫ぶ家族の声、やがて泣き声に変わった。体は全く動かせず、天井を見つめながら、言い様の無いしんどさに悶え、状況を想像しつつ自分にも起こらないかと脅えながらの4日間でした。一般病棟に帰れた時はああ助けてもらったのだと先生や家族に感謝でいっぱいになりました。

日常生活に復帰出来るようになった頃、タリアン会に誘われ仲間に入れて頂き、月1回の食事やお喋りを楽しんでいます。時には遠出して、根尾の薄墨桜、高遠城址の桜、三春の滝桜等タリアン会全員で楽しみました。この集いは10年以上、今も毎月楽しんでいます。

もう一つ私には素敵な仲間がいます。清水塾の仲間です。
幼稚園からのお友達の安本久美子さんがお誘い下さり、パソコンの全く出来なかった私を快く受け入れて下さり、先生(清水さん)のお陰で、メールを楽しめるようになりました。親睦会やお喜びの会、暮れには忘年会を楽しませて頂いたり、安田さんのご好意で進水式を特別席から見せて頂いたり、学生の頃にはお話も出来なかった方々とも親しくさせて頂き、兵高へ行って良かったな〜と思い49陽会の皆さんに心から感謝しています。これからもどうぞ宜しくお願い致します。拙い文を書き始め、途中で体調を崩し遅くなってしまいました。お許し下さい。

3年間同じクラスで机を並べた野田(清水)淑子さんにバトンをお渡しします。宜しくお願いします。

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