「異郷での人生」            7組 中本 正昭        

66年に関西学院大学を卒業し、米国四年間の滞在の後は神奈川県の逗子・葉山に定住しています。関西を離れ、また東京から60キロ離れたこの地では、関学の卒業生、まして兵庫高校の卒業生は極めてまれです。
私の住んでいる街はイトーピアと称する約600世帯の新興ベッドタウンで、私の知っている限り、関学の卒業生は私を含めて三名、兵庫高校の卒業生は0です。
(たまたま、隣の方が、私より一回り年齢が上の神戸一中・神戸大学卒業で、懇意にして頂いています。)

さて、親戚も千葉に一家族いるだけ、会社は欧米企業の出先で秘書と二人といったこれ以上小さい組織は無いとの状況で老後をどのように過ごすかが私の40歳位からの個人的なテーマでした。

勤めていたドイツ企業が倒産した83年に独立して自分のコンサルテイング会社中本事務所(英文名はNakamoto Research & Consulting Inc.)を東京に設立し、同年地元の葉山で異業種勉強会も起こしました。
公認会計士、建築家、医者、銀行家、技術者、パイロット、個人企業のオーナー社長、など異業種で第一線で活躍して、同じ街に住んでいる方々15名程度の集まりでした。月一回、夕食後会員のご家庭を持ち回りで利用させて頂き、その時々のテーマで普段関係のない業界のことをお茶とケーキで語り合いました。アルコール禁止の極めてまじめな勉強会でした。また、年二回奥様方を交えた食事会、年数回工場見学なども企画しました。その時の縁で今でもおつきあい願っている方は大勢います。何といっても全ての会員は自宅から一キロ半径程度距離に住んでいる訳ですから。家庭を持ち回りの集まりの場にした余得の一つは奥さん方とも知り合いになれたことでした。

ただ、家庭持ち回りということで、会員数は10数名以上増やすわけにいかなく、サークルの規模では限界がありました。それで、95年頃、当時私が所属していた地元の囲碁同好会を母体に、自治会活動で知り合いになった方々を加え、より大きな親睦団体を立ち上げました。趣味、信条、性、年齢等を超えた付き合いを目指し、住んでいる街の名前を頂いて、『イトーピア倶楽部』と命名しました。

同じ思いの方が多かったのか、60〜-70名の会員は直ぐ集まり、やがて囲碁同好会の他、ハイキング倶楽部、食べ歩きの会などが設立されました。おかげさまで、今では料理クラブ、うたごえの会、健康マージャンクラブ、パソコン教室、ガーデニングクラブ、ゴルフクラブなどの下部組織を持つようになり、今では120名程度の団体となりました。因に、現町長この団体所属です。
地域の防犯防災運動はもとより、自治会活動の有力メンバーの大半は我々のグループ出身です。また、4月の花見、8月の納涼祭、12月のクリスマスも毎年主催し、我々の親睦団体に所属してない方々にも門戸を開いています。

90年の後半50歳そこそこで会社人間を止め、自治会活動三年を経て地域活動に取り組み十数年、それなりの成果はあったと思います。私の自慢はこの歳で、仕事と関係のない女性を含む沢山の地元の知人友人があるということです。

現在は、週二回のスポーツジム通いの他、イトーピア倶楽部の副会長、囲碁同好会の会長、地元「葉山うたごえの会」の代表、また逗子歌声の会「歌ミュニテイー」の幹事として頑張っている他、男声合唱団、混声合唱団で歌い、クラッシックギターとエレクトーンなど音楽浸けの毎日を送っています。暇な時には家庭菜園、日曜大工、家事の手伝いにも精を出していますが、家内に言わせるとまだまだ努力が足りないようです。
今は、出来るだけ歩き、健康第一で体と頭を使うように努力しています。

次は、1組の脇田 嘉夫さんにお願いします。

                 中本正昭
                  〒240−0113神奈川県三浦郡葉山町長柄1642-77
 

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