手(指)によせて                                    ( 4組 藤原紀子)                           
  2008年、神無月、息子の運転で(王子 Zoo)に向かう。
私の膝に、チョコンと座っている孫、その絡ませた手をふと見る。
まだ、6才なのに、細長いこの指、型の良い爪・・・・・
アッ! この指(爪)は、なんと懐しい!(夫の手)だ・・・
 

1973年、4月20日 PM1時40分、私は切腹して母になった。

当時は、高度成長経済時代末で、広告関係の夫は、超忙しく、夜の8時半過ぎ、やっと我が子と対面できた。

 

彼は、「こんな小さな体(2750g)なのに、手は、大きいね。それに指が長い。僕の手にソックリだね。・・・」と、nice smileで、本当に、嬉しそうだった。その日、夫が抱えもって来た、30数本の黄色いバラの花は、海星病院の私の部屋を、黄色い世界へとchangeし、新米ママは魅了された。

 

数日後、私は、真白のかわいいドレス(ファミリアのベビー服)を着た私達の王子様を、しっかりと抱きしめ退院した。

庭には、菜の花が、一面に、今を盛りと咲き誇っていた。
 
1969年、結婚したばかりの頃、明日は来客ありなのに、リビングのカーテンが、まだ縫えてなかった。
ベージュ色の部厚い布を相手に、悪戦苦闘の私、慣れぬミシンは、私に辛くあたり、糸は(もつ)、ボビンは反抗的で、私は泣きたい心境だった。見かねた夫の器用な手が、不器用な妻の手とバトンタッチするや、摩訶不思議、ミシンの上の彼の左手と右手が、巧妙に動き、カーテンは、無事、縫い上がった。

それから、その右手は、油性サインペンを持ち、2m四方のキャンバス(カーテン)に、夢の様な絵を画いてくれた。描かれた絵は(森の(ふくろう)family)で、彼等には、七色の風が、うねりながら吹きわたっているfantasticな作品だった。3度の引越しにも耐えたそのカーテンは、リビングから子供部屋へと移り住み、私達を暖かく守り包んでくれた。

中国語に(li)(li)(zai)(mu)という成語がある。
━━ 人には 目を 瞑っても 歴然と 浮かんでくる情景があるということ ━━
私にとっても(黄色い情景)と(七色の風と(ふくろう)family)は、今も、いつも心の中に息づいている情景の一つである。
 
10数年も前のこと、父は、明石市民病院で長い入院生活をしていた。クラシック音楽好きの父に、父の好きな「第九」のtapeを差し入れた。ベッドの上で、天井に向かって、白い細い指先が、なにか指揮していた。きっとその時、(父の手)は、夢うつつの中、憧れのカラヤンに、なっていたのではないだろうか・・・

30年位前、父が元気だった頃、ケンタッキーフライドチキンは、今以上に、人気商品で、街頭にはケンタッキーおじさんが立っていた。幼い息子は、おじさんを見つけると、ツッ〜と、歩み寄り「おじぃちゃーん!」と、笑いながら、かわいい手で握手しに行ったものだ。
父とケンタッキーおじさんは、その風貌が、本当によく似ていた。
 
今年も、デパ地下におせち料理が並んでいる。
もう二度とは、口にはできないが、今でも舌が覚えているのが、母の手料理だ。(母の手)から、次々と、お正月を迎える料理が生まれてくる。
━━ かずの子、お煮しめ、黒豆、(ごまめ)金団(きんとん)等々 ━━ が色どりよくお重箱に詰められ、新年の(口福)となった。

梅雨明けには、梅干し作りが始まる。赤紫蘇で美しく染まった母の指先が、何十年も家族の食欲と健康を保持してくれた。
ロールキャベツ、酢豚も絶品だったし、時には、友に出してくれたシュークリームや大学芋も、私の自慢の、母の手作りだった。
 

お隣の国、韓国にこんな諺がある。

オン ソン ヤク ソン(母の手は、薬の手)

韓国の子供たちが、おなかが痛くなった時、オモニ(母)が、おなかに、その手をあてて、やさしくなでると、不思議なことに痛みがやわらぐとか・・・
 

私も子供の頃、母が手をあてて、「痛いの、痛いの、飛んで行け!」と、おまじないしてくれたものだ。そして、母となった私も、息子がケガをした時、そうしたものだった。

 

多くの優しい愛の手(指)に育まれた私、2009年には、私もこの手で、どんなことを育むことができるだろうか。
 
P.S. 2006年(樹によせて)、2007年(音楽によせて)、ひきつづき2008年(手によせて)が投稿できました。9組の清水君には、毎回、大変お世話になっています。本当にありがとうございます。
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