組  松尾 嘉彦

49陽会の会合には、今まで、1〜2回出席した程度でご無沙汰しております。皆様方におかれましてはご健勝でお過ごしのことと存じます。 先日、高砂市内で保育園等を経営しております坂牛君から、「同窓会の「リレー投稿」を見たことあるやろ、次の順番宜しく」との連絡があり、このような企画が運営されていることを初めて知った次第です。

 世間では、米国のサブプライムローンに端を発した金融不安で大騒ぎしていますので、事業、商売などをやっておられる方々は、何かと大忙しでしょうが、年金生活者にとっては、このような時こそ半世紀前の高校生時代を思い出すのも良い機会だということで、タイムトンネルを遡ってみることにします。

 兵庫高校1年生に入学して、間もない頃、某教師から、職員室の隅で「君このような進学校で、野球なんかやってどうするつもりや。ここは野球学校と違いまっせ。君の今の成績なら勉強に打ち込んだほうが宜しい。」という訓示をいただいた。純真な野球少年だったので、もちろん、この訓示を頭にとどめつつ、放課後、校庭での練習にどっぷり時間を費やす日々が続いていきました。学業成績はもちろん、急降下。

 当時は、兵庫高校の野球部では、誰が指図していたのか分らないが、昨今とは常識とは違って「いくら長い練習中とはいえ、水は飲むな、間食もなし」が当然のようであった。 こんな中で、日々の練習を指導する責任者もいない状況下、毎日の練習時間だけは、野球学校並みであったことを思い出します。 私も、知る人ぞ知る、かの有名な野球学校の練習に特待生として参加した経験がありましたので、進学校と野球学校とでは、練習場への出入りする部員の気構え・姿勢の差、練習密度の差などが、歴然としていたこと承知していましたが、今になって考えますと、正に、このような事態を周知されていた某教師が、入学早々、新入生の小生を職員室に呼んでまでして、訓示をしてくれたことを某教師の笑顔とともに思い出されます。{教師自ら、「自重自治」の何たるかの手ほどきをしてくれたわけです。} 感謝。

 また、厳冬のころ、毎朝、自宅から高取山頂まで早朝ランニングを日課としていましたが、ある日、正ちゃん帽を被った、今は亡き、平野文久君が、高取山の西側の道を駆け上がってきて、声をかけ合ったことを思い出します。 彼とは、3年生の時,体育館でグラブを嵌めて、ボクシングに興じたこともありましたが,国民体育大会に出場し、このことが縁となってか、中央大学へ進学され活躍されました。その後、阪神大震災の時に長田区内の公園で、被災住民を励まそうということで「餅つき大会」を開催し,汗を掻いていた姿、思い出されます。さびしい限りです。 無常。

 これくらいで、時間が長くなりましたので、打ち止めとさせていただきます。次のリレーの方は、運営ご尽力されている清水兄,宜しく。

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