組 土屋 重治

49陽会の皆さま お元気ですか。3242の土屋重治です。
    一筆啓上 健康に留意 妻を泣かすな 腹凹ませ
同組の不老君からバトンを受け投稿することになりました。世事に疎く未だに地に足の着かぬ日常を送っています。皆さまの投稿を拝読いたしましたところ、文面から滲み出る社会経験に裏打ちされた雰囲気に気後れし、自分にはこれといって書くに価するものが無いと思いました。中には和光同塵、玄同の境地に達したとも思える学友もいて頭が下がりました。

私は2005年2月末を以って自営業を廃業し、同年の9〜12月にかけて妻と二人でスペインの南部アンダルシーア地方を旅してきました。Euroの導入後、スペインも物価高、住宅バブル、都市化が促進され、40年程前の独特の魅力が無くなりつつあるのにガッカリしてかえってきました。
健康である限り老後の理想の地と決めていたスペイン滞在の予定が遠のいてから、日課としてするべき事も無く、たまにゴルフ、積ん読状態だった昔買った本読み以外は全く無為徒飲の毎日が続きました。余りに刺激の無い生活に自己嫌悪に陥り、2年前からネイティブの教えるスペイン語スクールに妻と通っています。アルコールに痛めつけられた頭はうまく機能せず、覚えたと思ったことも翌日には脳から蒸発し、同じ単語を何度も辞書で引き直す情けなさ、以前は一定量の文を読む途中ででくわす未知の単語、知ってはいるが思い出せない語を原文を見ずに後で順に思い出し乍ら辞書であたることが出来たのですが、60を過ぎると何を引こうと思っていたのかも思い出せず、原文を見直す時のイライラ感が募ります。集中して思考を敷衍できず、没論理の状態になり、数分数秒前に何を考えていたのか思い出せない時の焦燥感は、諸兄、諸姉も経験なさったことがあると思います。

私達はよく「漢字は読めるが書けなくなった」と口にします。人は個々人のレベルに於いて生涯自分の語彙を蓄えてアイデンティティを確立します。そのvocabularyの中にはpassive vocabularyとactive vocabularyがあって、前者は読んで理解できるが自分のものになっていないvocabularyであり、後者はいつでも自在に自分のために役立て得る自家薬籠中のものです。私に関して言えば、こと漢字に関するvocabularyは大部分がpassiveなものであり、図図しくも勝手にactiveなものだという錯覚、妄想に捕らわれていた結果、もともと書けない漢字を書けていた筈だと思い込んでいただけだと気付きました。passiveな漢字は人並みに身についたと思いますがactiveなものは実はさっぱり駄目なのです。考えてみれば当然です。そんなに勉学に打ち込んではいなかったのですから、漢字が書けなくなったと思う自欺から脱出し、ここはひとつ潔く自分の非修学を認めて出直すことにしました。

私の学生時代の友人の中にスペイン、中南米の文学作品を精力的に翻訳している同輩、先輩が数人いて、よく訳本を献本していただくのですが、その中の一人と先日一杯やっていた時に、彼に尋ねてみました。「君が先日送ってくれた本を読ませてもらったが、辞書を引かねば分からない言葉がかなりあった。あのような言葉は必要に応じてひき出せるようにパソコンに蓄えているのか?」彼曰く「そんなことは一切していない、辞書にも頼らない。普段の自分の勉強の時は辞書を大いに活用するが、翻訳に向かう時は自分の頭に入っている語彙だけで処理しなければ文章が澱むからな。」私が辞書を引いて確かめなければならない言葉を、彼はactive vocabularyとして頭に入れているのです。北九州出身のその友人と我が身との何たる差。博覧強記、博引旁証の彼は私を傷つけないように気遣いながら、「土屋君が酔生夢死の生活を送っていた間に私は言葉と格闘してただけや。」とサラリと言ってのけました。スポーツや学問など色々な分野において、秀でてる人は他人を優しく包む謙虚さがあることを改めて教えられました。
記憶力の衰えは実は自己欺瞞、自己を過大評価して幻想の世界に安住している結果かも知れません。このまま放っておくと大変なことになりますよ!
自分に負荷をかけ、謙虚に人生を歩みたいものです。長くなってすみません。

まだ確認はとっていませんが、次のバトンは座談の名手、高瀬利一君に手渡そうとおもっています。  それではこれで。

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