父の事と私の人生                    6組 赤堀 静榮

 私の母も私ものんき者で、生きるのに必死で、父の話、昔の話など殆どしたことがありませんでした。今は母はアルツハイマーで介護施設暮らし「あんたのお父さん、誰だったかなぁ?」状態です。
ある時、父の郷里、新潟のいとこが「静榮ちゃんを探している人がいるよ」と新聞の切り抜きを送ってきてくれました。その方に東京まで会いに行き、お話を聞き父の事を初めていろいろ知りました。
彼は昭和19年1月、満洲に大志を抱いて先輩(私の父)を訪ね、ここで暮らしたいと相談されたそうです。その時、私は6ヶ月ぐらいの可愛い赤ちゃんで、抱っこしたり、遊んで下さったそうです。
《父の事》
旧柏埼中学を5年で卒業し、東京青山学院大学卒業
東京芝浦高専英語の教諭を。
その後、満洲に渡り新京法政大学満州国立専門学校1期生。
満州大同学院
と30歳位まで、法律の勉強を猛烈にしたそうです。
政府の役人になり、日本最年少の国務庁事務次官。6ヶ国語堪能。情報部の仕事をして日本が負ける事も、早くから知っていたそうです。
父は家族にも言わなかった極秘をこの若き後輩にだけは真実を伝え、日本に帰り文学者を目指すように説得したそうです。
そして、後輩は日本に帰り兵隊体験。苦労して漢文学者として勉強、現在90歳近いですが背筋スキットした紳士で今も教壇に立ち、中国の歴史を執筆中です。
終戦の1カ月前、突然父は亡くなりました。
きっと自殺したのだろうとズットその事が、心に残っておられたそうです。そして命の恩人の娘さんは今頃どうして暮しておられるのか、もしかしたら満洲に置いていかれたのかと、心配して下さっていたそうです。
育ての母、祖母には「静榮のお父さんは、あなたが1歳でジフテリアに罹って死にそうで家族全員があなたについていた時に、風邪をこじらせ急性肺炎で亡くなった」と聞かされていました。
今思うと、すべて分かっていた父は生きていてもシベリア送りか銃殺刑。子供も死ぬと思いそうしたのかもしれません。真実はわかりません。
後輩の方から、父の話、戦争の話、いっぱい聞かせていただきました。「私のことをお父さん、お兄さんと思って、困った時はいつでも相談に来なさい」と言ってくださり本当に感激しました。
人生っていろんなことがあるのですね、こんな立派な方もいらっしゃるのです。
それからは、私が東京出張の時は必ずお顔を見せてくださり、奥様とご一緒に食事に誘っていただいたり、父の大学や英語の教諭をしていた学校に連れて行ってくださいました。

つい先日、彼が学会で京都に来られた時、高雄や嵐山をご案内させていただきました。
満州で父が亡くなって、奇跡的に私は命をとりとめ、リュックに首だけ出して断髪して男装した母に背負われて引き揚げてきました。栄養失調で死にそうな私を、どうせ死ぬなら日本で死なせてやりたいと日本に連れ帰ってくれたそうです。
それからは、母は外で働いて仕送りしてくれ、私は祖母に預けられ育てられました。
小学校卒業まで私は、祖母がお母さんだと思っていました。気位の高い祖母は「あなたは侍の子です」と私を育てました。津和野の家老、多胡要が祖母のおじいさんだそうです。最近少し歴史に興味をもち、津和野に行ってルーツを確かめてきました。
文化財で屋敷の門だけ残っていて、表札がかかっていました。
私の家は貧乏でしたが、心豊かに育てられました。小学校は5回転校し、引っ越しは現在まで18回です。
名門兵庫高校に入り(成績は…でしたが)部活は器械体操部に入り(これも成績は…)ました。
49陽会で良い友がいっぱい出来ました。一生の友も出来ました。

震災後、何もかも無くなりましたが、良い友がいます。優しい10人の子供がいます。
12人(もうすぐ14人)の可愛い孫もいます。遠く離れて暮していても、強い絆で結ばれています。いろんなことがあり離婚もしましたが、5人の子供たちに助けられ皆で頑張ってきました。
一日何時間働いたでしょう。子供の結婚、孫出産、仕事、イロイロイロイロ・・・
一昨年膝を痛め、日本全国飛び歩きの仕事は無理なのでリタイアしました。
小さなマンションのローンもやっと終え、健康第一と毎朝裏山を1時間ほど歩いて膝のリハビリをし、子供たちに迷惑をかけないよう心がけています。
私の住んでいるところは、水も美味しくホタルも出るし、カジカも鳴くところです。山と田んぼと竹林に囲まれ自然がいっぱい、子供たちが集まると家が狭いので外の河原で食事をします。
近くに住む息子にパソコンを教えてもらい、最近は子供や孫たちとmixiして、フランス〜滋賀〜京都〜神戸〜ニュージーランドと心ときめかしながら会話している幸せ者です。
年金生活でチョット厳しくゴルフにもあまり参加出来ませんでしたが、30年ほど前にやっていた一号店の手作りの店がこの春やっと再オープン出来ました。4番目の娘がやってくれています。嬉しいことです。いつかお小遣いをくれるようになりましたら、又参加させて下さい。
店は垂水駅西口から北へ10分の「シェマリー」です。私は商品の制作と仕入、ディスプレーだけ手伝っています。

今は私を必要としてくれるオールドボーイフレンドも出来、子供たちにも理解してもらって、時々は日本中、世界中と旅のお供をしています。

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