古い話を思い出しながら書いてみることにする。        10組 真木 晶

「49歩く会」でお世話になっているさくら姐さんこと安本久美子さん(3組)の指示とあっては無視することもできず、無い知恵を絞って何かを書いてみることにした。

同期の輪に限らず49陽会のホームページは時々覗かせていただき楽しんでいる。
同期の仲間が卒業後どのような人生を送り、最近どのように暮らしているか、大変関心がある。振り返って最近の自分の生活を見直すと、2年前の定年退職後もパートで働き続けているが、なんせ現役を支援する立場になり、たいした責任を持つわけでもなく、もう1つ緊張感がない。そこで、同期の輪には相応しくないかも知れないが、古い話を思い出しながら書いてみることにする。

異文化との接触は時に大きなカルチャーショックを与え、人の人生観を変えるような影響を与えるものだ。私は仕事の関係で、3度に分けて合計9年間英米に暮らすことを得た。それぞれに新しい経験と影響を受けたが、なんと言っても初めての外国で2年間暮らした英国滞在が大きな影響を与えた。
場所は、オックスフォード郊外、原子力関係の方なら良くご存知のハーウェル研究所の隣の研究所であった。時期は1975年9月からの2年間。

渡英前に私が想像する英国人のプロトタイプは、単純化して描くと、マッシュドポテトとぐちゃぐちゃに煮込んだグリーンピースの添えられたローストビーフを食べ、スコッチウィスキーを飲みながら、きれいで濁りのないキングスイングリッシュを話す、少々冷淡な紳士淑女というものであった。2年後帰国するときに間違いなかったと納得したのは、マッシュドポテトとぐちゃぐちゃに煮込んだグリーンピースだけであった。

まず最初に受けた衝撃は、初めてのロンドンで宿泊したホテルの主人の英語が全くわからない。我々が学校で習い、日本で接した外国人の英語とも全く違う。後で知ったことだがロンドン下町っ子の方言コックニーであった。Todayがトゥダイとなる。
オーストラリア英語がその流れを引き継いでいる。英国英語と言えばいわゆるキングスイングリッシュのことでしょうが、エリザベス女王やサッチャー首相のようなきれいなキングスイングリッシュを話すイギリス人は、限られた人たちだということを知らされた。イギリス人の英語にはその出身地と階級によって五万とある。経済的に成功して上の階級社会に入ろうとしても、話をすると直ぐにその出身階級がばれてしまうそうだ。
私の英語も仲間から良くからかわれた。
“Aki! Look! It's started Laining.” とやられる。思い切りLを強調して。
「これはジャパニーズイングリッシュで、数ある英語の変種の一つだ。文句あるか」とやりたいが、それにはまず心臓を鍛える必要があった。

最初の出勤日にパディントン駅から電車に乗る。動き出した電車の車窓から見るロンドン郊外は実に美しい。全ての場所が緑でマニュキアされたようである。あちこちに設けられたラグビーグラウンド、校庭、公園、全てが芝生で覆われている。
ベアグラウンドはどこにも無いだけでなく、工場らしきものが全く見え無いのには驚いた。これが産業革命発祥の地英国かと。信じられなかった。
つぎにイギリス人の芝生自慢について聞かされた話。
 ある時、イギリスの芝生を見て感激したアメリカ人が、イギリス人に聞きました。
「イギリスの芝生はどうしてこんなに奇麗なのか。手入れの仕方を教えてほしい。」
そこでイギリス人が答えた。
「まず土を深く掘り起こし、よく耕してから種を撒く。芝が生えてきたら適当に肥料を与え、水やりを欠かさない。夏は最低週に3回は芝を刈ってやる。」
アメリカ人曰く、「われわれもその通りやっているのだが・・・。」
イギリス人が続ける。「これを500年間続けるのだよ。」
アメリカ人「・・・・・」

私が滞在した当時は、イギリスは正に落ち目。ポンドはどんどん下がり、私の2年間の滞在中、円に対して50%以上も下落した。
英国病について盛んに報じられていた。確かに8時に出勤して昼食以外に、10時と3時にお茶で皆がラウンジに集まって談笑。5時には通勤バスで帰宅。多くの人がこのパターンで働いている。それでも仕事は進んでいく。一人ひとりの負担を減らし、大勢で分担している。確かに、研究所の規模に比べ職員数は多い。

私も初めは日英の仕事の進め方の違いに戸惑った。担当する実験装置の準備に技術者と技能者がそれぞれ1名与えられた。装置の概念設計を済ませると、技術者と打ち合わせ。技術者が製作図面を引いてくる。私がこの図面にサインすると、この仕事は技術者たちの測定器グループの手に移ってしまう。仕事の進行状態を見ることはできるが、もう手出しをすることは許されない。装置が完成したと技術者が認めたとき、初めて実験グループに引き渡され、われわれ研究者が装置に触ることが許される。物理は物理屋、技術は技術屋という線引きがはっきりしている。

夜中に重い実験装置を交換する必要が生じた。日本のクレーンの運転免許を持っており運転ができるので私がやりましょうと申し出ると、実験グループの同僚たちは一様に驚き、クレーンに触らないようにと注意された。研究者の私がクレーンの運転をやるということが彼らには信じられないことであり、クレーンの運転はクレーン運転者の労働組合員以外には許されないことであった。その後もヨーロッパの職能別組合制には度々痛い目にあう。職能別の小さな組合が沢山あり、どれか一つの組合がストに入ると全体の仕事が止まってしまう。なんとも非効率な制度だと呆れる。

この研究所には渡英前から良く知っていた理論の研究者がいた。毎月の様に論文を発表し、われわれ実験家にはいろいろ指針を与えてくれる人であった。こんなに沢山の論文を書くからには、おそらく夜も寝ずに仕事をしているのだろうと想像していた。ところが実際に見ていると、研究所の朝夕の通勤バスで定時に出退勤する。それもカバンも何も持たずに手ぶらで通っている。仕事を持ち帰って自宅でも仕事をいている様子は全く無い。後日夕食の招待を受けてお家にお邪魔すると、甲斐甲斐しく家事の手伝いをする彼を発見した。それだけではなく、夫婦の子供とは思えない東洋系の小さな子供がいる。話を聞くと、当時世界で問題になっていたベトナム難民の子供を引き取り育てているとのこと。まったく頭の下がる思いであった。彼の論文多産の秘密は長時間労働ではなく、限られた時間内の集中力にあると結論せざるを得ない。
 
イギリス人が、われわれ日本人が想像するほどにはスコッチを飲まないことは、今やよく知られた事実である。彼らが最も消費するのは、生ぬるいビターかギネスビールである。しかし、夕食に招待された時などはワインが主で、食前にはシェリー酒、食後にはポートワインかその他のリキュールがふるまわれる。私も一時シェリー酒やリキュールに凝り、海外出張の度にこれらを買って帰り、楽しんでいたことがある。

東洋人の小さな子供が珍しかったのか、近所の小学生くらいの女の子たちが、よく娘の相手をしてくれた。ある時この子たちに夕食のメニューを聞くと、肉は金曜日の夜だけという返事が返ってきて驚いたことがある。おそらく牛肉という意味で答えたのかも知れないが、そんなに頻繁にローストビーフを食べているわけではなさそうだ。ただし、マッシュドポテトとぐちゃぐちゃに煮たグリーンピースにホウレンソウは必ずと言って良いほど付けられる。グリーンピースにしろホウレンソウにしろ、ぐたぐたになるまで煮るのは、フォークの背に乗せ易くするためかと思うほど彼らは常にフォークの背を使い、腹で掬うようなことはほとんどしない。ある時友達とカレーライスを食べたが、その友達がフォークで食べ始めたので、「スプーンの方が便利だよ」と教えると感心されたのにはこちらの方が驚いた。

イギリス紳士・淑女は他人に関心が薄く冷淡か。そんなことはない。イギリスでよく見られる光景で感心させられたのだが、彼らはしばしばドアを開けて待っていて、後から来る人を先に通す。時にはずっと前から待っていてくれるので、後に続く人は気の毒で走らざるを得ないという滑稽な場面もよく見られる。横断歩道では自動車は実に行儀良く停止して、歩行者の渡り終えるのを待ってくれる。日本の「通行人 そこのけ そこのけ 自動車(くるま)が通る」と言うのとは大違いである。彼らは実に忍耐強い。長い列でも文句も言わず辛抱強く並ぶ。列に割り込むなどはもっての外である。
他人の権利は、自分の権利と同様に尊重する。

この調子でだらだらと書いていくと限がない。この辺りで止めにする。

最後に結構ジョークの好きなイギリス人ということで、印象に残り今でも覚えているジョークを一つ。
 飛行機の設計をやっているエンジニアが居ました。いろいろな設計を行い、何度も
 風洞試験をやったが、いつも主翼の決まったところで折れてしまう。
 毎日毎日この問題に悩んでいたエンジニアが、ある日トイレに入ってトイレット
 ペーパーを使っていて素晴らしいアイディアが浮かんだ。
 彼は主翼の問題の個所にミシン線を入れることにした。
 これは30年以上も前のイギリスにおけるジョークです。

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