(9組 森寺邦三郎) 

 9組の森寺邦三郎です。名歯科医の高橋健自君からバトンを受け継ぎました。まともな文章も書けませんが、心のままに少し書かせて頂きます。

 最近、テレビ・新聞・雑誌など多くのメディアを通して、“メタボリックシンドローム”という言葉をよく目にします。これは平成20年4月から厚生労働省が主導するメタボリックシンドローム対策として、全成人国民に特定診断を受けることを義務化し、さらにメタボと診断されると、特定保健指導を受けねばならなく成るためでしょう。このことはまさしく、国家的に、生活習慣病予防に、力を注いていることに他なりません。

 今や我国では、世界に類をみない超高齢化社会が進行しています。また、糖尿病を始めとする生活習慣病も増加の一途であり、国民総医療費の増加も著しいものです。我国が健康で豊かな高齢者社会を目指し、現実化する為には、メタボ対策が、どうしても必要な訳です。

 この様な状況下、5年前、新神戸駅前のビルにて、専門性を生かし、糖尿病を始め生活習慣病治療を主とし、地域の人々の“かかりつけ医”としてクリニックを開設しました。

クリニック開設に至るまでの経緯を、少し振り返ってみますと、医師としての第一歩は、元京大総長で、現在先端医療財団理事長の井村裕夫宣先生の門下生としてであります。5年間、臨床研究の後、県立塚口病院で糖尿病外来担当させて頂いたのが、勤務医としてのスタートでした。

 その後、1981年、神戸市立中央市民病院がポートアイランドに移転し、東洋一の総合病院として開院するにあたり、近畿では初めて新設された糖尿病内科に、勤務することになり、年々増加する糖尿病に携わってきました。

総合病院の使命として、一般患者の検査・治療はもちろんのこと、緊急治療・研修医の指導・臨床研究及び学会活動が求められています。そのため、患者さん一人一人に充分時間をとって、オーダーメイドの治療を行うことは、困難な状況であります。

 高度な技術、設備を必要とする検査・治療は、当然総合病院など大病院が担うのは、当然ですが、きめ細かな対応が必要な一般患者さん、また症状が安定し長期のフォローが必要な患者さんにとって、大病院での治療は、必ずしも適切とは云えません。

 従いまして、20数年間、病院勤務で培った経験及び専門性を生かしつつ、地域に根ざした医療をモットーに、糖尿病患者の治療を中心に、一人一人と充分なコミュニケーションを第一とし、患者さんの身体はもちろん、精神面、家族・職場環境を充分に考慮したオーダーメイドの医療を目指し、日々務めております。

 所で、趣味は何ですかと問われても、これと言った趣味らしきものもありませんが、あえてあげるとすれば、絵画鑑賞です。小学校の頃、写生大会などで、絵を描く会に参加し、全員・入賞とか、幾つかの賞を頂きましたが、中学に入り、油絵を始めましたが、思うように描けず、以降絵筆を握ることはありませんでした。しかし、絵を、趣味をもって見ることは、現在まで続いております。

昔、ピカソ、ルノアール、ゴッホ、ユトリロ、マチス、ロートッレク等・・・・世界の巨匠の絵画が、日本にやって来れば、必ず美術館を訪れたものです。

ニューヨークのメトロポリタン美術館、ワシントンのナショナルギャラリー、パリのルーブル、オルセー、オランシュリー美術館、南仏のシャガール、マチス、ピカソ各個人美術館、サンクスペテロブルグのエルミタージュ、ブーツキン美術館、オセロのムンク美術館、マドリッドのプラド美術館などを訪れ、画集でしか見られなかった名画を、ゆっくり鑑賞する機会に恵まれました。

 絵画は、同じモチーフを描いても、画家により、その絵から受ける印象は、ずいぶんと異なるものです。たとえば、花をモチーフにした絵では、ゴッホの花は、みなぎるエネルギーの力強い生命力を感じ、マチスのそれは、個性を誇るかのように、美しく咲いている。
ジャンセンのそれは、イタイタしく孤独に、ひっそりと咲いている。ビュッフェのそれは、孤独ではあるが、力強く咲いていると言った様に、同じ花でも、これだけ異なるものである。

 最近、興味を持っている画家をあげると、次の二人である。一人は、線描による独特のモチーフを描くジャン・カルズーであり、もう一人は、イタイタしくも、じっと我慢した底力を感じる線が特徴のジャン・ジャンセンである。彼らが描く1本の線にも、絵画の生命が宿っており、彼らが描いた線をながめていると、作家の思いが伝わってくるものです。

 仕事に疲れた時など、気に入った一枚の絵を、ゆっくり眺めていると、作者が語りかけてくれたり、風影の中に溶け込んだ自分を見つけたり、まさに、別世界への、心の旅であります。この時間は、私にとって、心のゆとりを取り戻す「至福の一時(ひととき)」です。

 (よわい)60を過ぎ、やっと、心のゆとりをもって、生活することが出来るようになりました。これからの第二の人生、多くに人々と供に、歩みたいと思っております。

 次回は1組の赤松清志君におねがいします。
                           (平成20年3月 記)
 

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