(4組 山形 弘)

 4組の山形 弘です。 先日藻川君から電話をいただいた。突然の連絡で何事かと心配したが、実は49陽会で「同期の輪」と云う同窓生による投稿を行なっており、今回藻川君の番に指名されていて、次の投稿者を彼が指名しなければならないとのことで、自分に次の投稿を頼むとのことであった。

 分かった、快く引き受けますと返事をしたが、つい日ごろの仕事にかまけて投稿をなおざりにしていた。ところが藻川君から再度電話があり皆が投稿を待っているので早くしてほしいとの催促があったので、とりあえず今パソコンの前に座りました。

 私は、家庭の事情もあり、高校卒業後三菱電機に就職した。そこで2年間働きやはり
大学に行きたく大道予備校に1年通い、高校卒業から3年後に関西学院大学へ入学した。大学卒業後、我家も小さいころから住宅に困っていたこともあり、住宅の提供はこれから必要な仕事と考え、日本生命の関連会社である新星和不動産鰍ノ就職した。
この会社で土地取得のための用地部、経理部、総務部、営業部、仲介部等、あらゆる職種を経験させていただいた。

 これは私の人生でとてもよい経験になったと思っています。今も、元会社の同僚と不動産の仲介会社を経営しており、金融機関等の不良債権物件の処理のお手伝いをさせていただき、元気に働いております。今日は1月17日、丁度あの阪神大震災が13年前に起こった日に当たります。

 13年前の今日(月曜日)AM5時過ぎ、河内長野市に住んでいた私は、仕事に出かけるためにそろそろ起きようと思っていた矢先、突然家が激しい揺れに襲われ起き上がることが出来なかった。

 台所の食器戸棚から食器類が飛び出し、ゆれの大きさを感じた。いつも一緒に寝ている子犬もびっくりしたようである。6時過ぎに南海電車に乗るべく、いつも乗る三日市町駅へ歩いていくと、反対にぞろぞろと帰って来るではないか。どうしたんですかと尋ねると電車が動いていない。いつ発車するか分からないと駅員さんが言っているとのことであった。

 まさかあんな大規模の震災が起こっていようとは思いもしなかった。神戸の三宮に週日は泊まれるように持っていたマンションがどうなっているか心配で、その晩車であの震災の生々しい現場のそばを通って、河内長野から神戸へ通常は1時間強でいける所へ、5時間ほどかけて行ったことが昨日のように思い出されます。

阪神高速の倒壊、阪神間の家々の倒壊、まるで地獄絵を見ているようであった。幸いにも、私のマンションは倒壊しておりませんでしたが、冷蔵庫の中身はすべて飛び出し、テレビは転がっていて、メチャクチャの状態でした。また、三宮にあった職場のビルを見に行くと、なんと倒壊してしまっているではないか。

AM5時46分に震災が起こったから私は助かったが、AM9時ごろに起こっていれば間違いなく私は今頃あの世にいるのは確実という状況であった。それゆえ、これからの人生はおまけの人生と思い、有意義に暮らして生きたい。

 それから、この紙面で白状するが、私には高校時代とてもとても好きな同級生の彼女がいました。お互いに手紙のやり取りをし、ある日その彼女と彼女の母親さんと、可愛い妹さんと一緒に映画を観に連れて行っていただいたことが私の高校時代のよき思い出です。
(誰かは内証)

 このころを思い出し、今でも飲みに行きますと、舟木一夫の「高校三年生」を“赤い
夕日が、校舎を染めーてー“と声高らかに歌っております。
49陽会50周年記念行事まで皆さん元気に頑張りましょう!
 
 次の投稿は元白鶴酒造に勤めておられた柴田 哲男さんにお願いしております。

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