(音楽(うた))に寄せて                     (4組 藤原紀子)

風冷えの街のどこからか懐かしい音楽が流れている・・・
その(調べ)は、私を懐かしい場所へと誘う。そしてその時、私の時間が停止するのだ。

幼き頃、茶の間に大きな蓄音器があった。大盤のLPレコードの上で、レコード針がバレリーナのように踊っていた。〈新世界〉〈ボレロ〉〈第九〉は、父が愛していたクラシックだ。時には〈荒城の月〉などの童謡唱歌に混じり、私が父にねだって買ってもらった美空ひばりの〈東京キッド〉〈りんご追分〉を夢見心地で聴いている私がいる。その当時の私達姉妹の遊具はオールドファッションの足踏みオルガンだった。

兵庫高校時代、学校放送から(カーペンターズ)が流れている。その頃の私が岩波辞典と同じ位、いやそれ以上に愛していたのが、ポケット歌集だった。ザラ半紙の手造り歌集には〈上を向いて歩こう〉〈高校三年生〉〈ロシア民謡〉などが、(つたな)き字でギッシリつまっていた。大学時代は、60年代激動の時で、デモに明け暮れ、歌声喫茶で、仲間と(たむろ)し、見知らぬ人々とも同じ歌を歌うことで、心が一つに共鳴したものだった。

卒業後、赴任した蓮池小学校(3年4組)、22歳の西村先生と8〜9歳の子供たちは、いつも一緒に歌っていた。〈鉄腕アトム〉〈おばけのQ太郎〉などのコミックソングをいっぱい。初めての音楽会で指揮した〈手のひらに太陽を〉と〈トルコ行進曲〉は、今でも、私の指先が覚えている。
六甲小学校、1年6組、藤原学級の教室は、まるでミニ美術館のようだった。グラフィックデザイナーだった亡き夫のレタリングやデザインであふれ、他の先生達から羨ましがられた。共働きの不器用な妻は、自分も超多忙な夫に 、いつも公私共に助けてもらっていた。

結婚後、5年がたち一人息子に恵まれた。グループサウンズ風のロン毛とGパンがよく似合うギター上手な30歳の父(夫)は、ベビーベッドの赤子に「 ゴロタンのテーマ」を創り、弾き語った。(ちなみにギターは、山口道夫氏からいただいたものらしい)
その子は2歳にして〈六甲おろし〉を完唱し、父を喜ばせた。3歳頃には〈およげたいやきくん〉を「ムァイニチ(まいにち) ムァイニチ(まいにち) ぼくらは てっぱんの・・・」と歌ってくれた。母(私)は、その愛らしい口元と表情を、今でも忘れられない。

2Kの狭いアパートには〈P、P、M〉(夫から妻へのプレゼントレコード)や〈神田川〉〈若者たち〉〈花はどこへ行った〉などのフォークソングがいつも流れていた。
息子は、小学校2年生位の頃に〈ルビーの指輪〉のLPをお年玉で買い、よく聴いていた。今年のNHK紅白歌合戦には、その曲が聴けるらしい。年月を超えても、又、私にとっては 、時間が止まるだろう。

時は流れ、あの阪神大震災後、ひょんなことで「AM KOBE 558(ラジオ関西愛称)」のパーソナリティ番組(ハーバーランドさわやかジョッキー)を引き受けた。初回は、私の好きな60年代〜70年代の歌と映画音楽とマイトークを、いっぱい散りばめて作った。〈いちご白書〉〈あの日に帰りたい〉〈タラのテーマ〉〈エデンの東〉などの曲と「若葉の頃」とをテーマ付け、兵高時代の思い出と共に紡いだものだった。

2回目からは、多くのリクエストが届いた。
(タリアン会のナイスレディ様達)(49陽会のナイスガイ達)本当にありがとう。
神崎郡や大阪方面からも感動的な葉書をいただいた。
なんと、嬉しいことに、大津にいる二人の孫も、そのダビングテープを聴いて「アッ、この声はノンノン(私のこと)やね!」と言ってくれたらしい。

今、2008年1月26日、「盲導犬チャリティ合唱コンクール」にむけ、中国の歌、日本の歌を練習している。その一曲に<赤とんぼ>がある。80年も前に作られた名曲だ。この歌を歌うたびに、紅い夕焼け空に飛び交う赤とんぼ達と、その傍には、優しかった母がいて、その無償の愛を思い出す私がいる。

音楽の持つ魂の力は、いつも私の心を湿らせ、そして奮い立たせてくれる。
2008年、私はどんな音楽に出会い、どんな魂の力に心を動揺させられるのだろうか。

P.S.昨年の「樹によせて」、今年の「音楽によせて」の投稿に際し、パソコンなき私のために9組の清水君に大変お世話になりました。本当にいつもありがとうございます。

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