(3組 熊谷 彰)

3年生の時、ほとんどクラスに居なかった3組の熊谷です。
西島君からバトンを受けてくれとの電話があり、生来文章を書くのが苦手なので固辞しましたが、大学時代と東京転勤以来何かとお世話になった彼の頼みなので渋々引き受けました。

私の生まれは北九州の八幡市で、両親ともに福岡出身です。生まれて直ぐ福岡県北部の小さな町に移り、小学校4年まで過ごしていたので、今でも福岡に行けば30分程度で九州言葉を話すことができます。しかし、昭和29年から過ごした小学校5〜6年、中学校3年間、高校3年間プラス1年の僅か9年間の神戸生活が、私をそれなりの神戸人に仕立てました。これまでの人生で東京生活が通算29年と一番長くなりましたが、神戸に帰ると何故かホッとするのは、福岡以上の故郷と思っているからでしょう。
出身地はと問われた場合に福岡と神戸を使い分けますが、神戸出身と名乗るときのほうが圧倒的に多いのは当然でしょう。

小学校は統合で今は無い兵庫小学校。当時の校長が朝礼か卒業式か忘れたが「人間カンカンになったらアカンよ」と話され、意味は良く分からなかったが成る程と思ったことを覚えている。
中学は小学校と隣り合わせの兵庫中学校。1年の時は大開分校で校門脇に大きなヒマワリがあり、隣には塀を隔てて中華同文学校があった。2年からは永沢町の本校、ここで西島君と同じクラスになり家が近所だった河内君の勧めでバスケ部に入ったものの厳しい練習で疲れ果て授業中に居眠りする始末で即退部。3年になり就職したくなかったので進学を希望し、兵庫高校へ。

高校3年間はクラスでの付き合いが原点ですが、クラス縦断の友達の輪が何となくできあがり、私もその仲間に入れてもらった。1年の時は部活での文化祭、夏休みの竹野浜キャンプ、先生方の勤務評定闘争を揶揄した体育祭の仮装行列。2年の時は文化祭をサボっての東京旅行、深夜現地で飲酒した修学旅行とその反省会、見送りついでに行ってしまったスキー。3年に上がる前の春休みの兵庫県縦断徒歩旅行等々。皆勉学には余り勤しまなかったが、楽しかった思い出だけは数々残してきました。

楽しかった高校生活のツケが浪人生活。1年の担任だった松原先生の世話で書店のアルバイトを9月までやったが、バイト代は何かに消えて学費を稼ぐという目的は何処かへいったのか。9月になり松原先生の骨折りで予備校へ。その間英語勉強のため2年時の担任だった村上先生の塾で無料講義を受けさせてもらった。さらに大学入学後に社会勉強として先生からバーでの飲み方やお座敷遊びなども教えてもらったこともある。
お二人には感謝しても感謝し切れません。

松原先生の勧めで進学した東京の大学で西島君に再会し、一時同居などを通じて大学生活のイロハを教えてもらった。今はゴルフの師匠ですが、師匠の言うことをきかない、聞いても直ぐに忘れる不肖の弟子であります。彼とは学部や学年が違うことから同居解消後は十数年間縁がなかったが、49陽会卒業20周年記念行事として刊行された「20年目の断面」の資料を収集しているうちに消息が分かり、東京出張の折に病院へ見舞いに行ったのが再付き合いの始まりで、東京へ転勤してから現在まで色々な面で随分とお世話になっている。
一方、神戸の友人とは大学時代、就職後に転勤した大阪時代を通じて約20年間、家族とりわけ嫁さんたちから又ですかと馬鹿にされるほどの仲良し49陽会グループでしたが、昨年のクリスマスイヴに一人で遠いところへ行ってしまった人がいるのはとても残念でなりません。今は毎朝彼の元気な頃の写真に向かい行ってくるよと声をかけて出勤しています。

今年の3月3日私の勤めている会社が創立40周年を迎え、創立時に入社した私も40年勤続表彰を受章しました。大学3年の時に学内紛争が勃発し、その影響で就職先が少なく苦労していたところ偶然に知り合った人に良ければ入社しないかと誘われ、国鉄が初めて現業を外注化するために発足させる会社だと聞き入社と会社創立が同じなら、第1期生として頑張れば何とかなるかなと思い、不純な動機で入社したのが40年前の昭和42年4月。以来自分のための会社として滅私奉公(実際はそれほどでもない)。
この度40周年記念行事と記念出版を手がけましたが、社の歴史とともに歩いてきた自分の人生を振り返ることができ、ある種の満足感を覚えました。
会社の名前は「日本機械保線株式会社」と云います。発足時は東海道新幹線の軌道(バラスト・砂利区間)を外国製の大型機械を駆使して保守することが主な業務で、一時期は全国の新幹線における機械化保守業務を独占して担当していましたが、国鉄分割とともに当社も分割され各々JRの傘下に入りました。平成4年にはJR東海が主力収入源である東海道新幹線の安全・安定輸送に欠かせない当社の株の大半を取得し連結決算子会社としました。東海の子会社となってからは新幹線の軌道保守に限らずあらゆる保線関係の業務を担当しています。興味のある方はインターネットで当社を検索してみて下さい。

次は「20年目の断面」刊行の責任者だった3組の山田勝也君にお願いしたいと思いますので、宜しく。

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