「ありがとう49陽会」                 (7組 岡部惠行)

3年7組の岡部惠行(よしゆき)です。金町でチャンコ鍋を夫婦でご馳走になった中西靖君からのご指名で喜んで同期の輪のバトンを受けました。

1.

仕事:大学を出てから特許庁に入り、縁起の良い数字が並んだ平成八年一月一日に特許庁を辞めて東京の国際特許事務所に弁理士として勤め、2年半後に独立して横浜で弁理士一人・事務長一人(妻)の超零細特許事務所を始め、現在に至っています。

弁理士は特許や商標などを扱う仕事です。朝日新聞日曜版に『休眠特許』が連載されていますが、私自身も、少年団の指導者が発明した「携帯用容器保持具」(特許第2880967号:ペットボトルなどの容器をリュックサックのベルトなどに簡単に取り付けられる)と、お寺の住職が発明した「ひだ付き腰巻」(特許第3088720号:着物を着る際に着用する腰巻にひだを付けて立ち座りを楽にする)という特許費用に対して採算のとれない特許(保持具の単価は安過ぎ、腰巻の需要は極めて少ない)の取得に携わり、苦い経験をしました。

武陽会の関係では、野口昌彦君や西島宏志君、大槻丈彦君から依頼された特許や商標があります。また、2年上の小林貞五弁護士(東京武陽会幹事長、私たちが1年生の時の生徒会長)から依頼された「無効審判」で、一旦特許になったものを無効にする審決を勝ち取った件があります。この件では、特許権者から審決取消が東京高等裁判所に提訴されましたが、この無効審決取消訴訟にも勝訴し、無効審決確定後は、相手側から前代未聞の訴訟費用をぶんどり、新丸ビルの最上階で小林先輩たちと素晴らしい夜景を眺めつつ祝杯をあげました。さらに、昨年の夏には、三浦・小網代にある小林先輩の別荘に久保義昭君と共に招かれ、生まれて初めてヨットにのせてもらい、武陽会の有り難さを感じました。

歳をとって来ると、一人でできる特許出願の仕事の方がやり易くなってきます。私の場合、この仕事は、密室のような事務所内でたった一人で、難しそうな特許専門の言い回しを駆使し、特許にしたいと依頼された発明の効能を図解入りで具体的に書き綴った特許小説ともいうべき出願書類を作成する「暗〜い」陰気な作業のことです。37年も連れ添った妻でさえ「クラーイ、インキー!」を連発しますが、何日もかけて書類を書き終えた後の達成感は、何年やっていても感慨無量のものがあります。知的財産高等裁判所が設置され特許などの知的財産保護が重視されつつある中で、特許のことしか知らない私は、特許出願を通じてそのほんの一部にでも寄与していきたいと思っています。
 

2.

趣味とスポーツ:若い頃は大学ではラグビーをし特許庁ではサッカーをしました。現在スポーツは観るだけです。ゴルフができないので49陽会で盛んなゴルフ会に参加できません。プロ野球はずーっと阪神タイガースの影のファンで阪神以外は観ません。

特許庁に勤め出したころ秩父宮ラグビー場によく行き、それから、ひたむきな大学ラグビーが好きになりました。早稲田大学は私の最も好きなチームで、強力フォワードの明治大学に対してゴール前で必死に守り抜いた粘りに感動したものです。息子が早稲田大学に進学してから、妻が早稲田大学の何でもファンになりました。最近では、ときどき、孝行息子が、国立競技場で行われる12月始めの早明(早稲田対明治)戦や1月4日の大学選手権準決勝のチケットを私たち夫婦にプレゼントしてくれます。

神戸に似た処ということで横浜の郊外・戸塚区に住み初めて28年になります。息子が小学校の頃は、夏休みに阪神タイガースが横浜に来ると、阪神グッズを身にまとった息子を連れて横浜スタジアムの対横浜戦ナイターをよく観に行きました。おかげで、息子は、学校では数少ない阪神ファンになってしまい、よくいじめられたそうです。住まいは国道1号線に近いので、毎年1月2,3日には関東大学箱根駅伝を観に行き、ラグビーと同じように、妻と共にエンジ色の旗を振って早大を応援します。
 

3.

神戸:阪神大震災の後、神戸には、両親の墓と戸籍しかありませんが、私にとって神戸はかけがえのない故郷です。阪神大震災の1週間後、梅田から阪神電車で甲子園まで行き、甥からミニバイクを借りて、そこから北上し国道2号線に出て実家まで、危険を避けながら壊滅した神戸を見つつ泣き泣き西進したことを、今でもありありと思い出します。

年に数回、墓参りや法事、同窓会などで帰神します。のぞみが新横浜と新神戸に止まるようになり、交通の便はとっても良くなりました。和田幹司君が毎年10月に小学校の同窓会を催して下さるので、ほんとうに有り難く思っています。

帰神したときに高取山に登ったことがあります。頂上付近は、中学高校の頃によく登った高取山とあまり変わっておらず、安心したものの、もう少し整備してもらえたらとも思います。なにしろ、私にとって高取山は六甲山系で随一の名山なのです。神戸で残念なことは、良い思い出を数多く与えてくれた市電、商工会議所の建物(京橋)、メリケン波止場が無くなったことです。
 

次は、数少ないクライアントの一人であり、弁理士になったころ事務所近くの寿司屋で励まして戴いた西島宏志君に、バトンをお渡ししたいと思います。

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