(7組 中西 靖)

皆さんこんにちは、3年7組中西靖です。

このたび竹馬の友池田篤司君よりご指名を受け、49陽会同期の輪に投稿させていただきます。
私は茨城県取手市にて建築塗装を営んでおりますが、いまだに悪戦苦闘の連続で、ゆうゆう自適の皆さんを羨ましく眺めていたところです。

近頃は物忘れもひどく、ましてや約半世紀前の記憶に自信ありませんが、あの頃の記憶をしばし想い起こしてみましょう。

長楽小学校、駒ケ林中、そして兵庫高校と進みました。
入学式当日校門を入ると《駒中野球部 佐野、友光、中西君野球部入部歓迎》の立看板に驚かされました。(結局そんな熱い勧誘を3人は共に冷たく袖にしました)

私は当時マンガの『イガグリ君』に憧れ柔道部に入りたいと願ってました。
入部はしたもののマンガの主人公のようになかなか強くなれません。
3年、2年の先輩たちにはもとより同期生の怪物米田にポンポン投げられました。
それに止まらず江本、尾崎、新村にも歯が立たずえらいクラブに入ったと後悔先に立たずの諺が身にしみました。
おそらく同じ思いの池田、高瀬、梶、井上、信国などの面々と共に、放課後2時間の練習に励みだんだん慣れて行きました。

そして夏合宿です、よく逃げ出さなかったなと今思い出しても感心しますが、あの1年の合宿ほど体力的にきつい試練はその後の人生に於いても経験していません。

暑い中での鍛錬は通常より疲労度が高く、おまけに汗をびっしょり掻き柔道着も臭くなりのどの渇きも最高潮に係わらず水は満足に飲ませてもらえませんでした。
現在のように科学的スポーツなんて誰も言わなかった時代です。
おそらく脱水症状を起こしかかっていたのではないでしょうか。
疲労困憊の極みには食欲もなくあの時何を食べたのか記憶は皆無です。
約一週間の合宿が終わったときは頬の肉も落ちげっそり痩せていました。

先輩に隠れて水を飲む知恵がでていたなら、その後人生の達人に成っていたでしょう。

そのうち若い身体は鍛えられ2年生時はいっぱしの柔道部員を自負していました。
胸と腕には筋肉らしきものも付き肩を怒らし漫画の主人公の様に歩いていたと思います。
あの頃の青い単純さが微笑ましく懐かしいです。

途中から藤原三治が入部してきましたが、体操で鍛えられた豪腕には驚かされました。
もちろん、彼は3年時5人の選手の中に入っていました。
先日、故人となられた信国は清潔好きで、率先して埃っぽい柔道場の掃除に勤め、後輩たちから《柔道部の母》と呼ばれ、尊敬の目で見られていたように思う。

いずれにしても卒業するときには全員黒帯を締めていました、一人私を除いては。
各人の得意技も多種多様で工夫されていました。
米田-内股・跳腰 江本-背負落とし 尾崎-袖釣り込み 新村-大外刈り 藤原--内股・跳腰 池田−左体落し 井上敏-浮き腰・背負投げ 高瀬-背負落し 信国-背負投げ 梶-払い腰 中西は江本の技を盗み-背負い落とし、
いずれにしても技を掛ける有様が気合入り動画として今も目の前に再現されてきます。

以上半世紀前の兵庫高校49陽会柔道部ですが、失念した方又記憶違いはご勘弁下さい。
機会があればどなたか補足、訂正お願い致します。

これからの残された時間は《人生の黒帯》を目標に生きて参りたいと思っています。

次は私に恋愛指南と喫煙の楽しみを教えてくれた岡部恵行君にお願いいたします。

(補足します)
1ヶ月前東京駅の近くで痛飲したにも拘らず林慧君を忘れていました。         
先日呑んだ時余りにも精力満々で彼の話に江本、池田、中西は圧倒され独演会の様相でした。夜間に東京と神戸を5時間でぶっとばしてきたそうで柔道部のときは私と同様小柄で迫力は無かったのに最近会った同期の中では一押し黒帯3段級でした。

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