(3組 吉村 孝)

今回、執筆いたしますのは、安本(伊東)久美子さんから、命令された3年3組、藤原豊先生のクラス卒業の吉村孝です。つたない思い出と、生き様のいったんを、ご披露させていただきます。

男の人生、平均寿命78歳と言われています。その人生の中で、兵庫高校入学から卒業までの3年間、平均寿命の26分の1を同級生と共に過ごしました。

昭和34年4月入学式、3年生のオッサン、生徒会長の挨拶、えらいとこに入学したなが実感でした。

1年3組、井田天のクラス、男子ばかり。ソフトボールのみした思い出。夏休みが終わり2学期の数学のテスト、実力考査0点、中間考査0点、親にも言えず悩んだ思い出。クラスの中にも0点が何人もいて変な安心感。その連中と48年間の付き合いが、今も続いている。

2年生担任は国語の松田先生。そのころには、頭に汗をかかず、体に汗を搔くことばかり。文武両道を目指す亀井邦雄君、赤井勝義君、伊藤日出夫君とハンドボールに専念。松田先生に、進学はと問われた記憶。勉強しませんでした。反省反省、遅すぎます。

3年生、ハンドボール部の藤原先生のクラス、男女クラス。しかし、頭はインターハイ、国体で一杯。練習が全ての登校。女子生徒の秀才大坪君より国語の質問をされたが、答えることが出来ない。彼女から吉村君勉強しなさいと忠告。二度と彼女から質問なし。

ハンドボールインターハイ、国体の県予選、共に、決勝で県工に敗れた。残念!!その県工が国体で全国優勝。あ〜他府県ならと思った思い出。しかし、翌年、50陽会のメンバーが主力で見事、県工、明石高校を破ってインターハイ出場。私も浪人中でしたが、現役のコーチとして、共に、小倉市での大会に出場した思い出。

3年の夏休みも終わり、部活も引退。受験勉強というとこですが、九月が始まると、後輩をシゴキに練習参加。気が緩んでいたのか左足骨折、松葉杖の毎日。日置健一郎君や和田建明君が、通学かばんを持ってくれたり、3階の教室まで背負ってくれたり、有り難いことでした。体育祭フオークダンス、あこがれたクラスの女生徒とのダンスも出来ず、見学に終わった思い出。26分の1の3年間をあざやかに思い出します。
 
大学入試、受験前日、クラスの秀才福田一右君の下宿に前泊。明日に備えて英気を、と言うとこですが、福田君が勉強せよと言い、英語の勉強。受験生より大学生の彼のほうが出来、明日の試験大丈夫かと不安。試験当日、彼が試験会場に同行、励ましてくれたお陰で合格。有り難い友です。

就職、これも同級生のお陰。ある日、3年7組の岩田篤(バスケット)君の家に遊びに行った時、彼の父君から就職の話。お任せしたところ、ブリヂストンの国内販売に口を聞いてくれ、恵まれた事に、兵庫県担当。その後、62歳と2ヶ月 まで、タイヤを売りました。同級生の父君のお陰と感謝してます。

ところで、皆さん、タイヤの役目をご存知ですか。4ツ有ります。1番目は車を進めることです。2番目は車を止めることです。3番目は車の向きを変えることです。4番目は車の重量を支えることです。良いタイヤの条件とは、同じスペックで重量が軽いタイヤが良いのです。バネ下重量を軽くすることが、加速、制動、省燃費に役立ちます。4ツ条件をクリヤーして、軽いタイヤを造るのが、工場の技術者の使命なのです。

仕事の事も書きましたが、自分の人生の中で過ごした26分の一、3年間、同級生との3年間、そのお陰でここまでこれました。

これからの残り15年間、同級生と共に生きれたらと願ってます。何も出来ませんが、49陽会の同窓会のお世話もせねばと思っています。45周年の集まりには、是非、みなさんご参加してください。

同級生は、減っても増える事はありません!! 

次の方にお願いするのは、49陽会の春のゴルフ会の席上にします。

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