鉛筆舐め舐め拙い文章を書いている小山です。      (2組 小山 俊則)

 49陽会の諸兄、諸姉の皆さんご無沙汰しておりました。
今を去ること四十有余年前、3年2組に在籍しておりました小山です。河原君から次期投稿者のご指名があり、鉛筆舐め舐め拙い文章を書いているしだいです。

さて、現在私が親しく付き合いをしている49陽会のメンバーは、河原、中杉、須川、松本、竹越、森脇、登木(現在名簿上では物故者となっています、仔細はのちほど)の諸兄です。
この内の何人かは、冠婚葬祭の時に顔をあわせたりしましたが、今のように月に一回は必ず例会と称して酒を酌み交わし談論風発を楽しむようになったのは最近のことです。

そもそものきっかけとなった出会いは、今から5年前この兵庫区松本通にマンションを購入したのですが、その時は兵庫高校在学中によく遊び、よく遊んだ中杉君のお寺がこの近辺にあるとはまったく意識しておりませんでした。それほど、この地域の風景が阪神淡路大震災後一変しておりました。それがたまたま散歩中に、中杉君によく似た男が歩いているのに気がつき思わず声を掛けたのが始まりです。

その後、このメンバーに成美、成清、埼玉在住の藤田諸兄を加え3年2組同級会を開催いたしました。その折円卓を囲んだ諸兄の顔は紛れもなく3年2組の机に座っていた顔を思い出させ、その顔の皺には卒業後の人生の重みが刻まれて、みんな良い顔になっていると感慨を抱いたのは小生一人だけではないと思います。

それから登木君ですが現在高知県在住で元気に暮らしております。
高校時代は(のぼりぎひでお)と我々は呼んでおりましたが、金田先生が(ときひでお)と出席を取り始めいつしか我々も“とき”と呼び始めた次第で、現在は戸籍上も“とき”です。
その彼が物故者となった由来ですが、“面白きこともなき世におもしろく”とある意味シニカルな気持ち(多分遊び心だとは思います)が過ぎたのではと、その時は小生も理解し武陽会事務局に物故者扱いをお願いした次第です。その彼が先日神戸にて3年2組のクラス会開催の話をすると非常に懐かしい思いにとらわれたようで「小山君、私を生き返らせてくれ」とのことなので、近々あの世からもどる予定になっております。
その節は、諸兄、諸姉温かく迎えてください。

小生も振り返れば其れなりに紆余曲折がありましたが、其れも是も昔の話と思いつつ、六十路を越えた頃から脳の中に木瓜の花が一輪二輪と咲き始めこれではならないと、若い時分の遊びの足らざるを補おうとしています。
中杉君と飲みながらよく話しをするのですが、3年2組のよき友に再会し、交情を深めている今が一番青春をしているのではないかと!

次のバトントワラーを中杉君にお願いします。
彼が結婚するときに奥さんと誓ったであろう言葉が“ともに白髪の生えるまで長生きしよう”と推察しますが、今や“君知るや共に白髪の頭禿げ”  それでは後宜しく。

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