組   堀  毅

  2007/3/5

お待たせしました。吉村君からいつも「暗い。ヘンコ」と言われている堀です。いつか回って来るとは思っていましたが、意外に早く意外な方からご指名がありました。花和さんや岸本君からも電話やメールで早く書けと叱咤激励を受けておりました。二八と言って、二月と八月は一般にはヒマな月ということになっておりますが、実は12月が決算期となっている会社の人間は一番忙しいのです。ちょっと遅くなった言い訳をしておきます。

1月初めの3連休明けに米国の潜水艦が巨大タンカー(VLCC。Very Large Crude-oil Carrier)に接触したというニュースを覚えておられるでしょうか?
私は、地元の大学を卒業後、このぶつけられた方の巨大タンカーを運航している海運会社に就職し2000年まで勤務、同年6月にグループ内の物流会社に移って現在に至っています。 港町神戸という土地柄にもかかわらず、海運や港運など港に関係する分野に進んだ同期生は意外なことに余り多くありませんね。造船には何人いますが。北村哲郎君が一時海運会社にいましたが、彼の入った会社は早い時期に解散してしまったので、比較的長く海運業界にいたのは49陽会では私一人ということになるでしょう。

地元の会社に就職したつもりだったのですが、3年余り経ったときに、所属していた部門ごと東京へ移ることになり、しぶしぶ東京住まいとなりました。移転のときに神戸の事務所に残る女子社員が柱の影で涙を流していたのを覚えています。東京では原宿にあった会社の寮で、49陽会の仲間が40余人も集まったことがありました。あれは何年のことだったのか思い出せません。その後も、東京近辺在住の皆さまとは親しくおつきあい頂きました。1986年の1月に台湾の台北に赴任、1990年8月に一度帰国、1995年7月に再度台北へ赴任、2000年6月に帰国という具合に、前後二度通算約10年間中国語圏に住むという貴重な経験をいたしました。
台北勤務時代には、岸田浩三・吉村孝ご夫妻、田中章雅ご夫妻、そして中嶋翠嬢が訪ねてくれたことも懐かしい思い出です。
2000年6月の帰国と同時に現在勤めている物流会社に移り、神戸に住んでいます。サラリーマン生活を振り返ってみますと、東京で20年、台湾で10年、そして神戸で10年勤務したことになり、最後の勤務地が神戸となったことはラッキーであったと思います。生まれ育った神戸の地でたくさんの友達に囲まれて生活できるのは大変有難いことです。

先日発表された男女別の平均寿命によれば、男の平均寿命は78ということなので、私たち49陽会の男どもが生きられるのはせいぜい残り15年ほどという計算になります。来年春には仕事から解放されることになると思うので、自分に残された年月を有効に使って生きたいと今から楽しみにしています。

次は同業者で水泳部OBの荒木紀一君にお願いいたします。

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