(4組 花和 美奈子[旧姓・伊藤])

4組 花和 美奈子(旧姓・伊藤)です。

 

昨年末が押し迫った頃、岸本晋吾さんから書状が届きました。

昨年12月初旬にようやく入院、手術が決まり、退院して直ぐの事でした。
 

真冬の季節、3月までは冬ごもりするつもりでおりましたから『同期の輪』の次者に指名されて来ても、何も発信するものはない。とお断りのTELを入れました。“冬ごもりをしています・・・・”とだけでも良いでしょう。・・・とのお返事。そして、追っかけ直ぐに皆さんの投稿原稿を出力して資料として送ってきてくださいました。

 

結婚して40年。そのうち30年間は夫の両親との同居。その結果は出来ない無理に無理を重ね、心労、心痛の産物として、もう決して原(もと)には復することの出来ない身体障害者になってしまいました。

その診断書が出された時、言い知れぬショックで、気が付いたら頭の中は“どうやって、どんな方法で死んだら良いかしら・・・・”の思いがぐるぐる廻っていました。
 

夫の両親は、すでに90半ばを過ぎ、何の故障も、病気もなく達者そのものでしたが、姑はすでに痴呆が進み、舅も高齢のため、すでに単独での生活能力はなくなっておりました。

いわゆる老老介護の毎日でしたから、健康な人達ですら、年をとって自力では生活出来難くなる現状が身にしみておりましたから、身障者の私が人様の助けを借りなければ生きられなくなってしまうという思いが働きました。でも、だからと言って直ぐには死ねないのです・・・・・。私が歩行も立ち居も不自由であっても、両親は二人とも健康であるが故に、在宅介護をしなければならないのですから。身障者の私が介護をしなければならないという現実の図式にゾッといたしました。

 

一昨年夏(057月)一度目の手術をし、ほぼ1年半近くを経てようやく次の手術のGOサインが出、昨年12月の入院となった次第です。
 

学生時代から引き続き、音楽と縁を切ることが出来ずに、地味にしがみついて来ていただけですけど、阪神淡路大震災の後“96年”“97年”の二度に渡って『ガンバレ神戸!チャリティコンサ−ト』を企画し、私の中では自身の演奏も含めて、故東山魁夷画伯の応援をいただいた事で、とてもすばらしい仕事をさせていただきました。
 

その頃からこの街の「高齢者のための女性コ−ラス」の指導に携わる事になりました。
 

昨年2006年はモ−ツアルト生誕250年で明けそして暮れました。私の体調が思うに任せなかった事(次回手術が、なかなかOKが出なかった事が私の中では進退極まった感じでした。)その反動で、あの演奏会、この演奏会、依頼されて、やぶれかぶれの心境で‘いいよ、いいよ’と引き受けて、普段は自身の演奏活動が年に一度くらいという暇な私にしては、コ−ラスの大きなステ−ジも入り結構忙しい年でした。12月のコ−ラスのステ−ジを終えて入院出来る、と言う思いだけで毎日の痛みと切なく付き合っておりましたので、退院後は冬ごもりと決めて、その事だけをよりどころとして気力を使い果たしてしまった感がありました。
 

そんな心境のところに『同期の輪』の皆様のメ−ルを読ませていただき、当然といえば当然の事ながら、卒業後の44年間に、いろいろの人生があったこと、改めて実感いたしました。
 

冬ごもりが明ける頃、3月初めには札幌までの独りでの遠出が可能と期待して、また歌のレッスンに通う予定です。同期会の11月には、多分杖もはなれて(今の今では、杖なしでは歩行が出来ず不安この上なしですが)独りで飛行機に乗れるようになっていると思います。
 

パソコンを全く触れない訳ではないものの、普段はほとんど開く事もなく、今は、とにかく何もかも気力がない感じで、ただひたすら冬ごもりモ−ドに、どっぷり足をつけてしまっております。

そんな訳で、今回は原稿を送り、何から何まで岸本さんに作業をしていただくことにいたしました。

岸本さん、どうもありがとう。
 

次は「にあんちゃん」の安本末子さんにお渡ししたくおもいます。
 

310月、札幌から湊中に転校し、時を同じくして、NHKラジオの午後6時から

【ふーるさと知らない、わたしでーも・・・・・・・】という歌に始まって「にあんちゃん」が連続放送されていた事を鮮明に覚えております。昭和33年のこと。同じ湊中で身近に、おなじ空気を吸って過ごしている事を知りました。

兵高時代は、2年、3年の2年間机を隣同士で過ごしました。それ以来、私の大切な友のお一人とさせていただいております。

                                            200712

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