「関西弁」    (7組)桾本 

 小生は、物心が付いた後は、裏六甲、大阪、和歌山で育ち、大学を卒業するまではいわゆる関西から離れたことはなく、関西弁を意識せずに使っていた。
国語辞典によると関西とは「逢坂の関」以西の地域で京都大阪を中心とした地域とある。関西人にとっては「京都弁」「船場言葉」「神戸弁」「河内弁」「和歌山弁」など地域により言葉の響きが異なり、皆別々のものと考えていて、それらを一つの関西弁と纏められるのには抵抗感があるが、私の周りの関東の人はそれらを纏めて関西弁と、のたまう。

大学卒業後入社したのは、関東系のメーカーで、関東で社会人のスタートを切ることになった。新入社員300名以上なのに、大半は地元出身で地方出身の多くは北関東や東北や九州であり、驚いたことに関西出身者は僅か10名足らずと極端に少ないことである。当然関西弁をしゃべるのは少数派であり、研修期間中もよく友人から関西弁を冷やかされた。
当時は方言を使うことに恥ずかしさを覚える人が少なからずいたが、小生は関西誇るべしなどと思っていたのだろうか、関西弁は急には治らなかったし、直すつもりもなかった。
   
職場に配属されると、先輩からは「関西弁丸出しの変な奴」と見られていたと後に教えられた。今は関東においてもテレビでも関西発信の番組が多く流れ、関西弁も茶の間では違和感なく受け入れられているが、当時はテレビなどでも関西系の番組も少なく、関西弁で堂々としゃべる小生を「変な奴」と先輩が見るのも無理はない。
彼らによると、東北や九州の人たちは比較的早く訛りは抜けるそうであるが、関西人はなかなか抜けないそうである。文化の中心地「関西」という意識が強いためだという話を聞いたこともあるが、理由は今も分からない。

5年ほどして大阪で営業に勤務したときには、これで安心して生来の言葉で「しゃべれる」と勇んで営業にでると、関西のお客さんからは「あんた関東の方ですか」と聞かれてがっかりした。

妻も関西人なので家では関西弁を使っているので関西弁は使えると思っていたのに、関西弁のなんとも表現の仕様がない独特のイントネーションが消えてしまい、お客さんには違和感をもって迎えられたのであろう。
関西弁を取り戻そうとしたが、1年半の短い期間であったためもあろうが、最後まで関西人に認められる関西弁は話せなかった。


言葉と風土は一対のものなのだろう。関西支社では関東弁と関西弁が入り混じって使われるためか、いつの間にか独特のイントネーションのある「関西弁をしゃべれなく」なっている自分に「あなた何処の人」と自問をしたものだ。


十数年後に再度大阪勤務となったが、そのときは正調の関西弁はあきらめた。
時々のお客様との酒席などで「私は関西人ではあるが、長く関東で勤務をしていたためか関西弁に訛りが入ってしまった」と言い訳をしていた。支社内では関東出身者も多いためであろう、私の関東訛りのある関西弁でも、それほどの違和感はなかった。
しかし湯沸し場で女子社員が楽しそうに関西弁で会話をしているのを聞くと、私の持っているイメージとは異なる関西弁であった。
当たり前のことながら関西弁も時間と伴に世代と伴に変化しているのを目の当たりにして驚かされた。
自分の「イメージしている独特のイントネーションのある美しい関西弁」も時代物になってしまったかとつくづく感じさせられたのを今も懐かしく思い出す。


話は変わりますが、東京49陽会主催の「ゴルフ大会」「忘年会」などの行事によく参加いたしますが、この集まりはまさに「関東訛りの神戸弁」「神戸弁訛りの関東弁」のオンパレードで、大阪では使われない「何しとん?」「元気にしとうか」など聞くとなんとなくホッとする。

大袈裟にいえば「そを聴きに行く」啄木の心境もかく在らん。
テレビのおかげか変な関西弁が蔓延しているが、昔の美しい響きのある言葉は残っていってほしいものだ。


退職後は夫婦のみの生活であるが、「関東訛りの関西弁」から「関西弁訛りの関東弁」に変わってしまったようだ。

また地域の役員などを仰せ付かり、色々な経験を持つ方との交流を深める機会を時々いただくが、良く「関西出身ですか」と問われる。「関西出身です」と誇りを持って応える。そのためか、最近は以前に比べ関西訛りが一段と強くなっていると感じる今日この頃です。

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