「北海道から49陽会の皆様へ」  (7組 下野 勝昭)

懐かしい49陽会の皆様、すっかりご無沙汰しています。

この度、北村哲郎君の紹介で「同期の輪」に投稿させて頂くことになりました。
今も昔も作文の苦手な私には、少なからず荷が重いのですが、折角の機会を与えて下さった北村君に感謝する気持ちも込めて、思いつくまま自分史を記してみます。
 

兵庫高校卒業後、北の大地に憧れ、津軽の海を渡りました。以来北海道に定住、44年の歳月を当地で過ごしたことになります。

大学卒業後は、道の農業試験場に勤務、道内各地を転々としました。
札幌市を振り出しに、
訓子府町(くんねっぷちょう)(北見市の隣町)、大野町(函館市の隣町で、現在は北斗市)、七飯町(ななえちょう)、帯広市、函館市、旭川市、比布町(ぴっぷちょう)(旭川の隣町)、札幌市、芽室町(めむろまち)(帯広の隣町)、長沼町と居を移し、長沼町でリタイヤ、その後は倶知安町(くっちゃんちょう)で晴耕雨読の生活を送るつもりが1年と続かず、現在は縁あって旭川近郊の深川市に住んでいます。

長年勤務しました農業試験場では、私の専門領域が土壌肥料だった関係から、道内各地
の様々な土壌を見て歩く機会に恵まれました。農地や森林にスコップで深さ1m程度の穴を掘った後、土壌の断面観察、分析用のサンプルは実験室に持ち帰り、土壌改良の対策を立てる、このような仕事です。就職当初の北海道農業は、やや陰りが見えたとはいえ、まだまだ元気一杯、農地開発も引き続き行われていました。平地だけでなく、熊の出そうな奥地にも足しげく通いましたが、ハンターの同行を願ったこともあります。


ご承知の通り、うどん・ラーメンなどの麺やパンの原料は小麦粉ですが、北海道は日本の小麦生産量の約70%を占め、コメとともに食糧供給の一大基地となっています。
若い時代は、小麦の増収技術の開発にも情熱を注ぎました。世界遺産となった知床半島の付け根で、秀峰・斜里岳を眺めながら、小麦栽培の現地試験に勤しんだことは忘れがたい思い出です。
北海道の小麦には「秋まき小麦」と「春まき小麦」の2種類があります。前者は9月中旬に播種、雪の下で冬を越した後、翌年の7月下旬に収穫、その小麦粉は主に「うどん」として食されます。後者は4月下旬に播種、同年の8月に収穫、主にパン用として供されています。

ついでにコメにも触れさせてください。
北海道米は、かって「やっかいどう米、鳥またぎ米、猫またぎ米」と揶揄され、まずいコメの代名詞になっていました。ところが、今や「安くて美味しい北海道米」の評価が定着しつつあります。この裏には、農業試験場の仲間たちの涙ぐましい努力があったのです。
北海道は、必ずしも良食味米の生産環境に恵まれていません。これを品種改良や栽培技術などで克服し、今では秋田県の「あきたこまち」並みに食味が向上しました。
「きらら397」、「ほしのゆめ」、「ななつぼし」、何れも北海道のコメ品種です。
星シリーズとして売り出していますので、是非ご賞味ください。
冷めても美味しい「ななつぼし」がお薦めです。
 

私が生活している深川は、最近、官製談合事件の発生で全国的に有名になりましたが、北海道を代表するコメ生産地域でもあります。石狩川に育まれた肥沃な土壌で生産されるコメの品質は、隣の旭川市とともに全道でもトップクラスです。
そのようなのどかな田園地帯に私の勤務する拓殖大学北海道短大があります。学生総数500名程度の小さな短大で、若い学生諸君と一緒に楽しくキャンパスライフを過ごしています。一度ホームページ
(http://www.takushoku-hc.ac.jp)をご覧下さい。

文章が長くなりましたが、もう少しお付き合いください。

北村君から山元伸一君が逝去されたとの連絡を受けました。山元君とは小学校も同窓でした。早くに父上を亡くされ、美人の母上の手ひとつでお育ちになったと記憶しています。また、惜しまれつつ数年前に他界されたラグビー部の徳宮俊信君も小学校・中学校の同窓でした。お二人に共通していた点は、人に対する優しさと思いやりだったと思います。二枚目だったことも共通しています。
好漢ご両人のご冥福を心からお祈り申し上げ、「自分史」を終えさせていただきます。

49陽会の皆様、これからもお元気で、心行くまで人生を楽しみましょう。

 

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