(10組 水島邦夫)

3年10組水島邦夫です。新居君は北村君のくじで次走者を決めるということでしたが、北村君の独断でこちらにお鉢が回ってきたような気がします。

 

私は49陽会の活動には殆ど参加しないほうでしたが、あるきっかけで安本久美子さんから散歩道の投稿を請われ、2005年9月から神戸の街の紹介を始めています。
最近はネタ切れで中断していますが、出来ればつくばの街、研究機関の紹介で再開したいと考えています(現在検討中)。

 

私は神戸大学理学部卒。化学科に入りましたが、動機は単に就職に有利という理由だけでした。兵庫高1年(担任菅沼先生)の通信簿を見ると、最も点数の低かったのが化学。今年の初めに菅沼先生にお会いしたときには少々申し訳ない気になりました。

 

会社をリタイアしてから、初めて10組のクラス会に参加し、金田先生の米寿の祝い、関西地区の親睦会と2度目のクラス会等、立て続けに皆さんのお世話になっています。この間に旧知の友とも再会し、少しずつ付き合いの輪が広がり始めました。今度は北村君にお願いして、関東地区の集まりにも誘っていただこうかと思っています。

 

私が入社した日立マクセルは、当時乾電池メーカーの小さな会社でしたが、茨木市の1工場から京都の山崎、茨城県水海道市へと拡張し、工場の新設にあわせて私も転勤、つくば市に移り住んで20年になります。今は私事の都合で神戸とつくばを行ったり来たりの生活ですが、関東風と関西風がごちゃ混ぜになって正しい発音が出来なくなってきています。

 

会社では乾電池やフロッピーディスクの開発など、ずうっと技術系の仕事をしてきました。定年近くになって会社を追い出され、転属したのが子会社のマクセルエンジニアリングという分析会社。そして究極のリストラ、親会社からの命令でこの会社をぶっ潰すことになりました。手順はまず解散を宣言し、従業員の行く先を何とかして会社の清算ということになります。

 

各方面の役所、税務署、裁判所への書類の提出、手続きに半年かかり、やっと無罪放免となりました。この間の身分は精算人で、従業員は私一人になります。

会社をつぶすというのは滅多にない経験で、一度やればそれなりのノウハウが身につきます。しかし残念ながら、このノウハウを手にして新たに会社に採用してもらう訳には行きません。以降、どこにも就職せず、毎日を気ままに暮らしています。

次走者は神戸に帰るたびにお世話になっている1組の加藤満国さんにバトンタッチします。加藤さんよろしくお願いします。

戻る